top of page

12

             浄円寺コラム<12>      2020,9,19重共聡

ダライ・ラマ 2010夏

 世界的な影響力をもつ指導者をあげるとすれば、まずローマ法王、そしてダライ・ラマといったところだろうか。

 

 土曜の午後、金沢での武術の稽古が終わって着替えている時に、仲間の一人が言った。

「ダライ・ラマに会ってみない?」

 こういうのを、降ってわいた話と言うのだろう。

 あまりに、唐突(とうとつ)でちょっと面食(めんく)らったが、すぐにオーケーした。

 

こちらがいくら会いたいと思っても、会えない人物というのはいるもので、ダライ・ラマもその一人だ。

これは千載(せんざい)一遇(いちぐう)のチャンスだと思った。

 ただ、直接会って握手できるのかと思っていたら、どうやら、講演会にいくということらしい。

やや機先(きせん)をそがれた感じがしたが、それでもこんな機会は人生で滅多(めった)にあるもんじゃないので、この幸運を素直に喜んだ。

 武術の稽古仲間で、ダライ・ラマを金沢に招聘(しょうへい)する団体で活動しているのがいて、彼がチケットを手配してくれるという。

 

 ダライ・ラマ14世は、チベット仏教の最高指導者で、現在はインドに亡命している。

 そのダライ・ラマが、金沢駅そばの県立音楽堂に来て講演する予定になっているということだが、そんな情報はまったく耳に入って来(こ)なかった。

 

 そして、待ちに待った当日はあっという間に訪れた。

 入場時セキュリティーチェックが厳重で、開始が十五分程遅れた。

 一階の前の方の席に着き、今か今かと待ちわびていたら、ダライ・ラマはテレビで見ている通りの人なつっこい表情で、トレードマークのオレンジの布を纏(まと)って現(あらわ)れた。

 その瞬間、一階から三階までの超満員の客席から一斉に拍手が沸き起こった。

 そして、その時が三時間の講演の中で一番盛り上がった瞬間だった。

 ダライ・ラマは茶目(ちゃめ)っ気(け)たっぷりで、二度三度と前列のご婦人方に投げキッスをしているのには、ちょっとあっけにとられた。

 最初は、日本人の有志達による般若心経の読経。続いてダライ・ラマが同じ般若心経を、歌を歌うようにあげていた。

背後に掛けられた軸の表情豊かな仏様とともに、日本では厳粛(げんしゅく)なイメージの仏教が本来はもっと大らかなもので、日常生活と密接に結びついたものではないのだろうかと思った。

そこからは英語とチベット語、そして早口の日本語の通訳との単調な繰り返しが延々と続いた。そのためか、次第に瞼(まぶた)が重くなり、開始三十分ほどで半数以上の聴衆は、心地よい眠りについたように見受けられた。

 

話の内容で印象に残っているのは、

「苦しみの源(みなもと)は正しいものごとの有(あ)りようを知らないところにあるということ。(無智(むち)、無明(むみょう))  

つまり、我々は間違ったものの見方をしているために、日常生活の中で起るいろんな出来事に、悩んだり苦しんだりしているというわけだ。

それを、仏教の正しい智慧によって。徐々に明らかにしていくことが大切であって、毎朝起きると、頭の中が新鮮でスッキリしている時間帯に静かに座って、こころに抱(かか)えている様々な問題に仏教の教えを通してどう取り組んだらいいのか、考えることにしている。

そうすることで、少しずつでも心の中が変化(変容(へんよう))してくる。つまり、ゆがめられたものの考え方から、正しい見方に変わっていく。」

 

ダライ・ラマはそう言っていた。

全体的に、素人向けに般若心経のアウトラインを解(わか)り易(やす)く説明しているように思えた。

僕はといえば、一言一言に耳を傾けながら、同じ釈尊から出ているのだけれど、具体的でシンプルな親鸞の教えの方が自分には合っているなと、一人うなずいていた。

 

 

 よみがえった声 1992 ③

Q「宗教を信仰しとると不思議なことがねえ。

  たとえば、自分が病気やったら、仏なら仏、神なら神に頼んだら治ったとかねえ。ふつう、ある人に言うたら、それは頼んださかい治ったがやと。

  神様のおかげやと、そういうふうに普通は思うがですけど、やっぱり我々若いもんがですが、そりゃそうやないがやと。

  毎日医者に診てもろて、薬を飲んだから病気が治ったと。神やそういうなもんが治してくれたがやないと、若いもんは思いがちなんですがね。

  それについて何か、仏教のほうでは…。」

 

A[それは、病気が治るとか、災難から逃れるとか、そんなことは宗教にはないこと。ほんま(本当)は、仏教ではよ。

 そいで、わしゃ(私は)明治天皇陛下が死なっしゃる時にゃ、日本中の祈祷師(きとうし)か何かえらい人がみんな一生懸命に『治ってほしい』って祈祷せしゃった(された)けどやっぱ死なしゃった(亡くなられた)。

  祈祷で病気が治るもんなら、日本、死ぬもんな一人もおらんで。そうでない。

   

真宗では、

「山家(さんげ)の伝教(でんぎょう)大師(だいし)は 国土(こくど)人民(にんみん)をあわれみて 七難(しちなん)消滅(しょうめつ)の誦(じゅ)文(もん)には 南無阿弥陀仏をと

なふべし」

  こういう御和讃(ごわさん)があります。それから、「定業(じょうごう)中夭(ちゅうよう)のぞこりぬ(※)」ということばもあります。  

  これは信仰の力をいうが、信仰の力は七難を七難とせずに、その七難を乗り越えて行くところに力がある。

七難を苦にせず病気を苦にせず、それから定業中夭を苦にせず、それを乗り切っていくところに力がある。

  それが、念仏の用(はた)らき。七難は七難と思わずに乗り切っていく、そこに本当の宗教の力がある。

  

念仏は無碍(むげ)の一道(いちどう)。

無碍ちゅうことは障(さわ)らんちゅうこっちゃ。障らんということは、ひどいところを安うして通るがでもなけにゃ、苦しい所を楽にして通るがでのうて、ひどいところは、ひどいままで通りながら、ひどいと思わんというところに念仏の力がある。

  苦しいことは、苦しいと思わずに楽しゅう通れるところに念仏の力がある。

昔はひどいなあ、苦しいなあと思った道を、道そのまんまに通りながら、今はひど

いと思わず、苦しいと思わず、安う楽しゅう通れるところに無碍の一道ちゅう、じゃさからいで、昔はひどかったなあ、苦しかったなあと思うところを、今は念仏の力で安う楽しゅう通れるのが、信仰生活です。

じゃさかいに、浄土真宗の教えは、まことに適した教えである。

  

病気治(なお)していうて一生懸命やっとって、死んださいなどう申し訳する(死んでしまったら何と申し開きするのか)?

  そりゃ、まだ歩みが足らんの、ぜん(銭)持って来(こ)んさかいじゃと、そんなダラんことどだけ(馬鹿なことをどれだけ)言うとったってどうする?

  じゃさからいで、迷うてみるもなし、そんな病気治いてくだはれちゅうて銭持ってかんなん、宗教でないがい。

※定業中夭のぞこりぬ…定業⇒定まっている寿命。中夭⇒早死。

南無阿弥陀仏をとなふれば この世の利益(りやく)きはもなし 流転輪廻            

のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ(現世利益和讃)

                                  (つづく)

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

  • 大東医専物語

口頭(こうとう)試問(しもん)

「俺の目が節穴(ふしあな)だと思っているのか!」

 三年二学期の学内口頭試問の柔道の実技審査でのこと。

名簿順で組んだ佐藤さんとまず形(かた)をやり、次に乱取(らんど)りに入った。最初にこちらの技がうまくかかったので、そのあと佐藤さんの足払いに無理に抵抗せず畳に這(は)った。

 そこで大輪先生から待ったがかかった。

 審査員は八段の大坂先生と七段の大輪先生の二人で、隣りに座っている大坂先生は、

『まあいいじゃないか。』

という顔をしている。

「なぜわざと投げられた!」

と問い詰められ、こちらが黙秘(もくひ)を続けていると、

「本番でこういうことをやると、D(不合格)をつける。」

ということで、その場は落ち着いた。

 大輪先生としては、妥協なしに真剣にやってほしかったのだろう。

 

 ところが二週間後の本番で、また失敗をやらかしてしまった。

 学科審査はA、B二会場で行われ、佐藤さんと僕はA会場へまわった。試験官は各会場に二人ずつで、A会場は本校の渡辺先生と、他校から招聘(しょうへい)された永井(ながい)という先生

だった。

 名前を呼ばれて入室し、受験票を差し出した。

 そこまではよかったのだが、出した手をなかなか引っ込めることができない。永井先生が受けとらないとみて、その受験票を机に置いて下がった。そこで、永井先生が初めて口を開いた。

「君は名刺を渡したことがあるか?」

 これは名刺と同じもので、相手に手渡さないといけない。机の上に放り投げるなんて言語道断(ごんごどうだん)だという。ほうり投げたわけではなかったが、そう映(うつ)ったのならしかたがないと思い謝(あやま)ると、何とか解(わか)ってくれた。

 ところが、この一件があとで問題になった。審査が終わって帰ろうとしているところへ、礼儀に対する厳しさでは当校で一、二を争う堀口先生が血相を変えて飛んできて、

「何てことしてくれたんだ!」

と一喝(いっかつ)を食らった。他校の、しかもうるさ型の先生に対してとった態度が悪かったのが、学校の沽券(こけん)にかかわると先生は思われたのだろう。

「みんなに迷惑かけたんだから。」

と言われては返す言葉もなかった。

 今まで他人事みたいにしか思っていなかったのが、自分が実際に叱られてみて初めて、しかられた当事者の気持ちが手にとるように分かった。

                                  (つづく)[次号 10月3日]

bottom of page