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​浄円寺の歴史

 開基、淨圓は文明五年(1473年 戦国時代)、本願寺第八代蓮如上人が北国へ巡杖の折、上人に帰依し弟子となり、明応七年(1498年 戦国時代)十一月、本山にて道場役となり、道場を許可され西明に居住した。
 以来十一代相続の後、文政八年(1825年 江戸時代)第十二代常善が、東砺波郡池尻村の真光寺の寺中(下寺)として、同年八月十七日、本山より浄円寺の寺号を与えられた。
 村人の伝えによると「八谷山浄円寺といい現地よりももっと山沿いにあった」そうである。
 現浄円寺は山号をもたないが、八谷という名は東西原に行く途中にあり、そこからついたものであろうか。現御堂は弘化二年(1845年)に再建され昭和三十年に増改築されたものだが、唐狭間など一部建具類は弘化以前のものと考えられている。
 明治、大正と三浦家が当寺の住職であったが、静全の孫、静照が医者を志し、当寺を後にした。
 そのため一時廃寺となっていたが、福光の高畠(たかばたけ)に住む重共清松(正念と親しまれた)が大正九~十年に再興し、声明(しょうみょう)、説教に優れ立派な業績を残した。二代目は娘婿の重共友吉、三代目は現住職の聡である。
 平成二十六年、西明地区出身で世界に『緑の革命』をもたらした小麦農林十号の生みの親、稲塚権次郎翁主人公の映画『NORINTEN稲塚権次郎物語』が製作された。その際、浄円寺本堂で、主演の権次郎役仲代達矢氏と浄円寺二代目重共友吉役の俳優で囲碁のシーンが撮影された。
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