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             浄円寺コラム<91>     2023,9,30重共聡

 介抱(かいほう)と通過

 明治の親鸞といわれた清沢満之(きよざわまんし)は言っている。

「路傍(ろぼう)の急患者(道に倒れている人)に対して、その介抱と通過(無視して通り過ぎる)とは、精神主義の一定するところにあらず(決まっていない)、無限(むげん)大悲(だいひ)(如来)が吾人(ごじん)(我々)の精神に介抱を命じたまわばこれを介抱し、通過を命じたまわば通過するのみ。

 介抱と通過の二点につきては、吾人ひたすら虚心(きょしん)平気(へいき)にして、無限大悲の指命を待つあるのみ。」

 首都圏にいた二十一年の間に、路傍の急患者つまり外で人が倒れている場面に遭遇したことが七度あった。

 そのうち、何らかの形でかかわったのが五度、そのまま通り過ぎたのが二度ある。

 

 夕方の帰宅ラッシュの時刻だった。

 勤務している整骨院の仕事を終えた僕は、高田馬場(駅)から二駅の池袋駅でJR埼京線に乗り換え、満席になっている座席の前に立って窓の外を流れていく景色を眺(なが)めていた。

 板橋駅を過ぎたあたりから、左隣に立っている二十代OL風の女の子の様子が何となくおかしいと思った。

 案(あん)の定(じょう)、次の十条駅のホームに滑り込む手前で急に崩(くず)れるように僕の方に倒れ込んできた。

その時点で、すでに心は決まっていた。

 僕は網棚(あみだな)(荷物棚)のリュックを下ろして背負い、その女の子を両手で抱え上げ、ドアが開(あ)くと同時にホームへ下りて隅に寝かせた。

 間もなく駅員が担架を持ってきたので、乗せるのを手伝った。事務所まで付き添い、一緒に中へ入ろうとすると、

「あんたはここまで!」

と制止され、追い立てられるようにドアの外に出されてしまった。

「せっかく人が心配してついてきたのに…」

 十条駅の駅員の応対に割り切れないものを感じたまま、ホームへ戻り次の電車を待った。

 

 外で倒れた人に遭遇した七度のうち六度目か七度目だったと思う。

 その日はデイ(サービス)の出勤日で、お昼過ぎに川口駅から京浜東北線に乗った。車内は空(す)いていた。僕は次の赤羽駅で埼京線に乗り換えるため、進行方向右側のドア付近に立った。

 と、赤羽駅ホームに到着する直前に、そばにいた若い女性がゆっくりと崩れるようにうずくまった。

「えっ、またか!」

と思った。

 僕はちょっとうんざりして、ドアが開くとその女性を置き去りにしたまま埼京線ホームに通じる階段に向かった。

 歩きながらふと手もとを見ると、介護支援専門員(ケアマネジャー)の分厚いテキストを抱えているのに気がついた。

 その瞬間ハッとした。

「俺、一体何やってんだろう…」

 自分が情けなくなってきた。

 

 

 生き仏様(その二)

 それから、おじいさんに、

「さあ、おじいさん、風呂へ入りましょう。」

と言って、濡れた着物を脱がせて帯を解こうと思ったら、細いヒモみたいなものを結んであった。

「こりゃおじいさん、なかなかヒモが解けんのう。」

と言いましたら、

「先生さん、去年の九月に着物を着替えて、帯もその時に結んだままであります。」

「ホー、それじゃ垢(あか)がいっぱいついて光りおる。こりゃもう要(い)らんけん。ワシのを着せるけん。」

言うて、帯を解いて裸(はだか)にしました。

 次に、フンドシを外そうやと言ってよく見ると、フンドシのヒモがまた…

「これも去年の九月から?」

と聞いたら、

「えぇ、去年の九月にフンドシをしてから着替えとりません。」

どうりで臭(くさ)いのなんの。無理はないわ、指がないんじゃけんのう。これも捨てるよ。

 それも剃刀(かみそり)で切って外のごみ溜(た)めへ入れて、それからワシがおじいさんを抱えて楕円形(だえんけい)の大きい風呂へ入りました。

 ワシは子供を入れた経験はございますが、半年以上も風呂へ入っとらん六十(歳)過ぎたおじいさんを抱(だ)いて風呂へ入ったのは、その時が初めてじゃった。

 そして風呂の中でおじいさんの体を擦(こす)ると、垢(あか)が出るの出んのって!

 その浮いた垢がワシの体に引っつきますのよ。

 じゃが、お念仏に生きとる者は、キレイじゃ汚(きたな)いじゃと言わんことはないが、そういうものにとらわれない力が出るのであります。

 それは何かと言ったら、可哀想(かわいそう)にという心が働いとったら、その心が汚いじゃの綺麗じゃの、そういう思いを消していく力なんであります。

 ひとつも汚いと思わないで、おじいさんをきれいに擦(こす)って、また外に出て、きれいな水でゆすいで、それから家内が拭(ふ)いてあげ、頭も洗うてあげるけんの。

 ワシが上がるまでにワシの白い着物を上から下までみな着せてあげてくれと言って、着替えさせました。

 それで、おじいさんは髪が長くなっていましたが、家内はワシの頭で稽古が出来ているので、バリカンでおじいさんの髪をきれいに刈りました。そうしたら、頭にも厚紙みたいな垢が出とる。それもきれいにしました。

 ワシが後から風呂へ入って、自分の体を洗って上がって戻ってみると、おじいさんは連れてきた時とは見違えるようになっとりました。そして、

「先生さん、こりゃどういう訳でございましょうか?有難うございますのう。」

と言ってくれました。

「おじいさん、アンタは有難いと言ってくれるが、その十倍も二十倍も三十倍も有難いのは、このワシよ!嬉しいんでワシは。」

 そしたら、おじいさんは涙をこぼしました。

「さて、おじいさん。お世話をさせてもらう以上、ワシャ(私は)如来様にお仕え申す心でありますけん、遠慮なさんなよ。おじいさんを生き仏じゃ思うとるのじゃけん、仏様に仕えさせてもらう心じゃけん、遠慮しなさんなよ。」

                     (つづく)(藤解先生S61広島 法林寺にて)

 

 

[連載企画]

 太極の世界に足を踏み入れて<青春編>

 家はというと、積もった雪が屋根まで届き、除雪に猫の手も借りたいほどだった。

 そんな家をほったらかしにして、

「ちょっと京都まで行ってくるわ。」

と言って出かけた。今だったら除雪を優先するのだが、当時は自分のことしか考えていなかった。

 京都山中は雪は少なかったが、寒さは富山に引けを取らないくらいこたえた。

 大阪、京都、神戸から約三十人の若者たちが集まった。そこで、津村(喬(たかし))さんが中国から仕入れたばかりの四十八式(太極拳)を指導してくれた。

 この冬は実(じつ)によく雪が降った。吹雪(ふぶき)で白一色となった外の景色を眺めていると、春は来ないんじゃないかと不安になるほどだった。

 ところが二月の声を聞いた途端、あれほど降りしきっていた雪がパタッと止(や)んだ。それを境に春の足音がひたひたと近づいてきた。

 

そして四月に入った最初の金曜日だった。

会社の残業を終えて車で錬成館にかけつけた時は、時間をかなりオーバーしていた。すでに始まっているいつもの練習風景を想像しながら、ソォーッと柔剣道場の戸を開けて中を覗(のぞ)いた。その瞬間、

「あれっ?」

と思った。

                         (つづく)[次号 10月14日]

 

 

       初期の練習風景 (富山市 錬成館 S.55夏)

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