真宗大谷派 浄円寺
88
浄円寺コラム<88> 2023,8,19重共聡
仮面の告白<二>
こんなことって…ある?! 2023夏
コロナが明けて四年ぶりに高校の同級会をやるので、その前に物故者追悼法要をやってもらえないかと同級生の山本武夫歯科医院長から依頼を受けたのが、歯の治療に訪れた今年六月初めだった。
八月十一日(金曜・山の日)午後四時から自坊の浄円寺本堂で法要をやり、庄川の旅館「川(かわ)金(きん)」へ移動して同級会を開くという日程だ。
追悼法要は七年ぶりで二回目になる。これは自分の仕事なのでやるしかないが、同級会は正直どうしようか迷った。というのは、高校時代は受験勉強に追われていい思い出がなく、したがって同級会は今まで敬遠してきたからだ。
ただ、今回は思いきって出てみようと思った。
七年前は追悼法要に二十八人も来てくれた。久しぶりに再会した同級生何人かと本堂で言葉をかわしたが、あまり時間がなく、もっと話したかったなという思いが残った。
それで、今回の同級会は参加することにした。
前回の追悼法要に集まった同級生の殆んどが顔を見ても解らなかったので、すぐに思い出せるように予習していくことにした。
同級会のホームページに掲載してある直(ちょっ)近(きん)三回の会の集合写真をその下の名前と高校の卒業アルバムで突き合わせる作業を繰り返した。
それでも思い出せない同級生が二、三人いたが、しかたがないので無理やり覚え込むことにした。
そして当日。
午後四時からの追悼法要は、七年前に近い人数が来てくれた。
今回もいつもの法事とは違う緊張感があったが、読経のあとの不得手(ふえて)な話にもじっと耳を傾けてくれ、これも同級生だからこそだとうれしかった。
終了後、汗を落として夕方六時からの庄川の旅館「川金」での同級会に間に合うように家を出た。
久しぶりの「川金」に懐かしさを覚えながら、二階の会場へ向かった。
三十人は超していたと思うが、すでにみんな集まっていて、宴会場の隣りの部屋に待機していた。
みんなと合流して間もなく会場へ移動した。席順はくじで決めるとのことで、幹事が紙片を乗せたお盆を手に回っていた。
席順をくじで決めるという趣向は、高校時代に戻ったみたいで、新鮮なドキドキ感があった。
僕の引いた紙片には「10」と書いてあった。
縦四列に並んだ長テーブル上の番号を端から確認して歩いた。
が、「10」の席は見つからなかったので、もう一度最初から見て回ることにした。
今度はすぐに見つかった。出口側の長テーブルに「10」の番号札があった。ただ、次の瞬間、
「あっ!」
と思った。
というのは、僕の席の左隣りにFさんの姿があったからだ。
Fさんは僕にとって初恋のマドンナだった。
当時の僕の目には、Fさんはルノワールの描いた可憐で清楚なイレーヌ嬢と重なって見えた。
朝の通学路で前を歩く彼女の姿を見かけると、そっと目で追っていた。スカートの裾からのぞく細いふくらはぎの白さがまぶしかった。
結局、高校の三年間一度も話すことなく卒業してしまった。
そのFさんの隣りだとわかり、一瞬席に着くのをためらった。
「Fさんの隣りに行って、心の中で迷惑に思われたらどうしよう…」
と、思ったのだ。
でも、意を決して席に着いた。
すると、思いがけないことが起った。
Fさんの反対側、つまり右隣りの女性が声をかけてきた。
「Fです。よろしくお願いします。」
「えっ!こっちの方がFさん?」
ちょっと混乱したところへ、続けて僕の左隣りを指して、
「そちらもFさんです。」
と言われた。
「どっちがあのFさんなんだ?!」
右を向いても左を向いても同じ名前のFさんだった。二人とも高校時代のFさんに似ているようでもあり、違うようでもあった。
そんな僕の心を見(み)透(す)かしたように、右隣りのFさんが、
「私は旧姓Tです。」
と言ったので、ようやく頭の整理がついた。
初恋のFさんに対して最初に抱いた僕の心配は杞憂(きゆう)だったようだ。
「お寺のある西明は初めて行きました。」
気を遣(つか)ってくれたのか、初恋のマドンナだった左隣りのFさんは、いろいろ話しかけてくれた。清楚な面影はまだ健在だった。僕も特に意識することなく会話に入っていった。
話が底をついてきたころ、こんな話題を振ってみた。
「僕たち、高校の時話したことあったっけ?」
するとFさんはフォローするように、
「同じクラスになってなかったからじゃないですか?」
「それとKさんらのように、私、目立つほうじゃなかったから。」
と謙遜していた。
午後六時に始まった同級会は八時半過ぎに散会した。
別れ際、
「お元気で!」
と、声をかけた。彼女もそれに合わせるように応じてくれた。
結局、Fさんが僕の初恋のマドンナだったことは打ち明けることはなかった。
これが、三十代か四十代の同級会だったら違っていたかもしれない。
初めて参加した同級会での思いがけない出遇い。実はこれだけではなかった。
右隣りにもう一人のFさんこと旧姓Tさんがいることも、自分にとっては驚きだった。
話は、二十代後半にさかのぼる。
ある日のこと、小学校の教員をしている父が言った。
「サトシの高校の同級生にTさんという女の子いなかったか?」
「ああ、いたよ。」
「今の小学校で先生やっているよ。」
「そう。」
「お前(の結婚相手)にどうや?」
父から話があった時、すぐにパッチリとした目が印象的でおとなしそうなTさんの姿が瞼(まぶた)に浮かんだ。
小学校の教員をやっていたという右隣りの旧姓Tさんに、僕の父のことを聞いてみた。すると、
「どこの小学校ですか?」
と聞き返された。
彼女は、覚えていないという。
「そんなはずないんだがなー。」
と心の中で思いながらも、徐々に自分の記憶力に自信がなくなってきた。
そして、もうじき宴会が終わろうとする時だった。
「東N小学校じゃないですか?」
不意に彼女が言った。ようやく思い出してくれたのだ。
東N小学校という校名は僕も懐かしさとともに記憶の底から浮かび上がってきた。
「私、二年間そこに(赴任して)いました。重共先生はおられました。」
その重共先生が、高校の同級生つまり僕の父親だとは知らなかったという。
「重共という名前は、富山県に一軒しかないよ。」
と説明してようやく納得してくれた。
「私がそこにいたのは二年間だったけど充実した二年間で、(重共先生は)とてもいい先生でした。」
と付け加えてくれた。
最後に思い出してくれてホッとした。
ただ、父から結婚を勧められたことは、とても言えなかった。
初めて出席した高校の同級会で、くじで決まった席の左隣りに初恋のマドンナFさん、右隣りに父から結婚を勧められた旧姓Tさんがいた。二人と顔を合わせるのは高校卒業以来だった。
こんなことって…ある?!
聴聞(ちょうもん)の仕方(一)
ワシが聞くんです。ワシが聞いておるんです。
ワシが解ったちゅうて、ワシがつかむんです。
ワシが聞いて我がもんにしとるんです。
ワシの力で聞き、ワシの智慧で聞き、ワシの分別で聞きよるんじゃけん、いくら聞いたって、やっぱりそこを、ただ行ったり来たりするだけです。
藤解先生 S57,9,7法林寺にて
(つづく)
[次号 9月2日]