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            浄円寺コラム<85>     2023,7,8重共聡

 ゼロチーム

 中学三年の秋だったと思う。

 僕たち幼馴染(おさななじ)み五、六人は遊び終わって西明神社の階段に腰掛け、夕暮れの田園風景を眺めていた。しばらくの間、誰も一言も発しなかった。

 その時、ふと思った。

「このメンバーでこの場所に集まるのは、これが最後だな…」

 事実、その日以後この顔ぶれがそろうことはなかった。

 

 小学生の頃は、宮(みや)様(さま)(西明神社)が自分たちの遊び場だった。

 積雪の多い冬は、雪囲いに覆(おお)われた宮様の中で、パッチ(めんこ)をやった。相手のパッチに裏返されないように、自分のパッチに孔(あな)を開けたり、油をつけたり、泥をこすりつけたりして、みんな独自の工夫を凝らしていた。

 雪が融(と)けると、宮様の境内(けいだい)でのソフト(ボール)が遊びの中心になった。日が沈んでボールが見にくくなると、サッカーに移ったこともあった。相撲場では、ゴム飛びを始めたのを皮切りに走り高跳びから棒高跳びへ興味が移っていった。が、やはり中心はソフトだった。

 当時、西明地区の僕の世代は2チームで試合が出来るほど子供がいた。

 一歳上から三歳下の幼馴染(おさななじ)みが群れをなして行動していた。

 タモツ、イサオ、キヨシ、ヤスシ、フミアキ、ジュンジなどファーストネームで呼ぶ者がいれば、タミズロ、チャアコ、ボンコ、バンソウ、モケチなど屋号やニックネームで呼ぶ連中もいた。

その中に、チャンスツクリというニックネームを冠(かん)された男の子がいた。

チャンスを作る、つまりソフトの試合でチャンスを作ってくれるという意味でチャンスツクリとなったのだが、これが味方のチームではなくて、よくエラーをして敵のチームにチャンスを与えてくれるという、あまり有難くないニックネームだった。

 守備が苦手な彼にとっては不名誉なニックネームだったのだが、気にしていない風(ふう)で、そう呼んでいた自分たちも親しみを込めて呼んでいた。

 今から思うと、みんな、とてもまとまっていたなと思う。

 

 昭和三十年代から四十年代にかけて、西明神社には現在ある二対の石(いし)灯(どう)籠(ろう)とコンクリートの参道はまだなかった。鳥居側に一対のこま犬と社殿側に木製の灯籠の支柱を差し込む平らで真ん中に小さな穴のあいた四角形のコンクリの沓石(くついし)が二つあるだけだった。

 こま犬とコンクリの沓石を直線でつなぐとほぼ正方形になったので、ベース代わりにしてソフトをやった。

 小学校4年頃になって、みんなの体が大きくなってくると、打ったボールがそれまでよりも遠くへ飛んでいくようになり、鳥居を越えてイザイモン(屋号)の田んぼへ落ちることがしばしばあった。ボールが一つしかないため、試合を中断して総出(そうで)で田んぼへ入り稲をかき分けて探した。暗くなってもなかなか見つからないこともあった。

 それで、フライで田んぼまで打った場合、つまりホームランはアウトというルールにした。

 5年生になって身長がさらに伸びてくると、こま犬と沓石のダイヤモンドが狭くなったため、その外側に立っている松の木を1~3塁のベース代わりにした。

 ホームベースはそれまで通り忠魂(ちゅうこん)碑(ひ)の前にある沓石を使った。

 ただ、体の成長とともにホームラン⇒アウトが増えてきたので、さらに新ルールを作った。

 誰が言い出したのか解らないが、全員左打ちにした。これはうまくいった。真剣にバットを振ってもそれまでのようにうまくボールを飛ばせなくなった。

 

 後年、リーダー格のトシオが言っていた。

「サトシのお母さんが、どんなユニフォームを作ったらいいのか聞きに来た。」

ユニフォームがあったのかどうかは覚えていないが、そういえば自分たちをゼロチームと名のっていたなあという記憶がかすかにある。

われらがゼロチームは、たまに対外試合をやった。当時通(かよ)っていた蓑谷小学校のグラウンドで、相手は蓑谷部落や細野部落のチームだったと思う。

 ヤジの飛ばし合いにも熱がこもっていて、思いつく限り口汚いヤジを飛ばしていた。

 アウト・セーフの判定で揉(も)めることもよくあって、それが原因で試合を放棄したことも一、二度あった。 

 その頃は、自分たちがどれくらいのレベルなのか解らなかった。

 そして、僕が小学6年の夏休みに西明チームの実力を試す機会が訪れることになる。

                                  (つづく)

 

黄門式プログラム<4-1>

1.実験材料…今、自分の中で一番心に引きずっている事(気にかかっている事、心配事)を何でもいいですから、具体的に書いてみて下さい。       

 

2.こころを覗(のぞ)く…その時こころの中に起った思い、どんな思いが心の中を占めているのか、静かに見つめて書いてみてくたさい。

※ポイント:そのこころを立て直そうとしたり、どうにかしようとしたり、いじくったりしないで、しんどいだろうげど、そのまま面と向き合ってごらん。自我が破れる時は痛みが伴(ともな)うものだから。

 

3.分類…2で見つめたこころは次のどれに当てはまるだろうか?丸印で囲んで確認してみましょう。

A群:怒り、腹立ち、憎しみ、恨(うら)み、ねたみ、嫉妬(しっと)、羨(うらや)ましさ、イライラ、もどかしさ、悲しみ、切なさ、やるせなさ、情けなさ、不安、恐れ、恐怖、虚(むな)しさ、喜び、嬉(うれ)しさ、楽しさ

 

B群:生(生きていくことの苦しみ)

老(老いることの苦しみ)

病(病むことの苦しみ)

死(死ぬことの苦しみ)

愛(あい)別離(べつり)苦(く)(親しい人と別れるつらさ)

怨憎(おんぞう)会苦(えく)(いやな人、都合の悪い人と会う苦しさ)

求(ぐ)不得(ふとく)苦(く)(欲しいものが手に入らない悩み)

五蘊(ごうん)盛(じょう)苦(く)(いのちの営みが盛んなことでかえって感じられる苦)

 

C群:利己主義(自分を中心にしてものを考えている。人からよく思われたい。何でも自分でできる。自分の思い通りにしないと気がすまない。自己正当化。自分が一番可愛い。自己弁護)

劣等感(認めてもらいたい)

被害者意識(自分が置かれている立場や状況を他人や環境、時代のせいにして、悩んだり苦しんだりする。自分の居場所がない。嫌われたくない。傷つきたくない)

 

D群:貪欲(とんよく)(都合のよいものは自分のところに引っぱってこようとする。ああなりたい、こうなりたいという思いがいっぱいある)

瞋恚(しんに)(都合が悪くなると腹が立つ。どれもこれも、ままにならない、思うようにならないために腹を立てる)     

愚痴(ぐち)(本当のことがわかっていないことからくる不平不満)                                                                        

4.あなたの考えのもとになるもの、判断基準は何ですか?                 

世間体(他人の目)、分別、道徳、損か得か、自分のたてた善悪                        

5.何を拠り所にしていますか?

自分、家族(子供、夫、妻、孫、父、母)、他人(恋人、親友、先輩)

お金、自分を自分たらしめているもの、自分にこの命をプレゼントしてくれたもの       

                              

太極の世界に足を踏み入れて<青春編>

 ヨガ・オープンセンター

そうこうしていたある日、読売新聞に目を通していたら、高岡市の読売教養サークル(カルチャー教室)のヨガ欄に、太極拳の活字が躍(おど)っていた。

やっと見つけたうれしさから、早速その週の土曜の夜に訪ねてみることにした。

早めに行くと、当時二十七歳の自分よりいくつか上だろうか、背の高い男の先生と、低いアシスタントの青年がいた。

「あのー、新聞に太極拳やっていると書いてあったので、来たんですけど…」

と言うと、ヨガの先生のSさんは、

「実は、太極拳を教える先生がいなくて、まだ始めとらんの(初めていないのよ)。」

と、申し訳なさそうに言った。

 期待していた分余計にがっかりしたが、太極拳のことなどを聞かれるままに話しているうち、

「あんたみたいな人を探しとったのよー!どう、一緒にやりませんか?」

と言われた。

 意外なことを言われて驚いたが、Sさんと話していて意気投合したのと、太極拳を教えているところは富山県にはありそうもないというあきらめも手伝って、やってみようかなという気持ちになっていた。

 

 これは実にタイミングのいい出遇いだった。その日から一年余りの間に富山市と金沢市で太極拳の教室を始めることになる。

 一週間ほど経ち、富山市のSさん宅を訪ねた日曜の朝、僕の太極拳を見たいというので近くの城址(じょうし)公園へ行った。二十四式を一通りやって見せた後、彼らしくオーバーに、

「素晴らしいねー。」

という言葉が返ってくるものと思って振り向くと、Sさんはなにやら思い詰めた顔をしている。気になって理由を尋ねると、

「自分の知っているのとは違う。」

と言って、しきりに首をかしげていた。

 よく聞いてみると、彼は楊名時氏系統の太極拳を習っていたのだ。違いを説明すると

意外に早く納得してくれた。そして、主宰するヨガ・オープンセンターの一部門として太極拳を組み入れ、富山市に会場を探しておくと約束してくれた。

 Sさんとは方向性の違いから二年ほどで訣別(けつべつ)することになるのだが、それはまだ先の話。                                        

(つづく)[次号 7月22日]

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