真宗大谷派 浄円寺
70
浄円寺コラム<70> 2022,12,10重共聡
小さな失敗談<その五>
食い逃げ
親鸞聖人は言っている。
「わが心のよくて殺さぬにはあらず。また害せじと思うとも百人千人殺すこともあるべし。(自分のこころが善いから殺さないのではない。また、殺すまいと思っても百人はおろか、千人もの人を殺すこともあるだろう。)」
この言葉を引用すると、こうなる。
「食い逃げしようと思わなくても、食い逃げすることもある。」
自分のしたことは、まったく弁解の余地のない食い逃げだった。
四十代の初め、専門学校へ通いながらトイレ浄化槽の点検の仕事をしていた時だった。
その日の仕事先は岩槻市(いわつきし)の辺りだったろうか。
昼食は、近くのスーパーで弁当を調達して車の中でお腹を満たした後、シートを倒して昼寝するというのがいつものパターンだったが、その日は吉野家に立ち寄った。
カウンターの丸椅子に腰を下ろし、自分の中では定番になっている牛丼大盛り、ミニサラダ、生卵、味噌汁を注文した。
食べ終わって代金を払おうとしたら、先客がいたので、先にトイレを済ませることにした。
そして、店を出て隣接(りんせつ)する駐車場に停めておいた車に向かった。その時、背後で声がした。
「お客さん、代金いただいてませんよ!」
思わず振り返ると、さっきの若い店員が追いかけてくるのが目に入った。
「あっ!」
その時初めて、肝心なことを忘れていたのに気がついた。
トイレから戻った時に、お金を払うことが頭からきれいに消えていたのだ。
店員の後を刑事に連行される容疑者のように店内に戻った。お昼時ということもあって、中にはお客さんがある程度入っていた。
店内の人達がこちらに注意を向けているのを痛いほど感じた。わざとじゃなかったと言っても、誰が信じるだろうか。自分は善人だと当たり前に思っていたのが、一瞬にして否定された思いだった。
支払いを済ませて車へ戻り、シートに身を預けた。そして、さっきまでの緊張感と入れ違いに訪れた開放感を味わいながらキーを差し込んだ。
TVでよく見る、衆人の中を連行される犯人側の気持ちの一端(いったん)を味わった出来事だった。
生きた話<その六>
そうすると、
「あいつは悪い奴じゃのう。」
と言われても、その言われたことを乗り越えていく力はどうかと言ったら、
「アンタがワシをのう、悪い奴じゃと言うけれど、アンタがワシを悪い奴じゃと言うとるくらいなワシじゃないぞ。正直、アンタが言うより、ワシはまだまだ悪い奴でございます。」
ここへ出んにゃ、何ぼにもワシャ助からんぞ。
少しでも善と見てもらおうじゃの、そがいな心があったら、こりゃウソじゃ。
「あんたが思うとるどころか、ワシはほんま(本当)に大外道(だいげどう)じゃ、いうことをワシャ思うとるんじゃ。」
いうて、その心で受けんにゃ。
「この大嘘(おおうそ)つきめが!」
言われたら、
「ほんま(本当)よ、アンタが思う通りや。アンタが一つか二つ嘘ついたのなら、ワシャ朝から晩まで嘘を言うんやけん、アンタが言うのはほんま(本当)よ。」
という心で受けるだけの力が出ないと、こりゃ、助かるもんじゃないぞ。
そういうように、ワシが苦しい時に自然と出るんや。そいつをいいこと覚ったと握ったら、これは大間違いや。これを自分のものにしたら、それが自力じゃの。
じゃあどうなったらいいのかい。どうしたらいいのかいの。
その時に、やっぱり教えを受けとるゆうことはいいことじゃ。その、教えを受けた時に、その通りのワシであります。と言えるのは、今のようなことで苦しまんにゃ言えるもんじゃない。
(おわり)
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第四部 開業
少し考えた後、意を決して、先程やろうと思ったけれど足場が悪く痛みを伴う姿勢をとらせることになるので断念した方法をやってみることにした。
これはヒポクラテス法といって、整形外科の先輩から教わったやり方だ。
当然このやり方も実際に試みるのは初めてだが、これがダメならはしご車でも救急車でも呼んでもらうしかない。
もう、これが最後だ。
まず、落ちる危険を避けるため、Tさんに屋根の上方に移動して、出来るだけ仰向けに近い姿勢をとってもらった。
僕は片方の長靴を脱いで、靴下状態になった左足をTさんの左腋窩(えきか※)に差し込むようにした。
それまでかたわらで見守っていたTさんの親戚の男性は、僕が屋根から転げ落ちないように、後ろへ回って背中を支えてくれた。
そして、脱臼している左腕を自分の両手でしっかり把握し、少しずつ牽引の力を強めていった。学内実技審査の予行演習では、最初の牽引で決まると言われ、患肢をかなり強く引っ張った記憶が感触として残っていた。
次に、左腕の牽引の方向を変えるため、力を緩めてわずかに横へ持って行った。
その体勢からセオリー通り内転(ないてん※)しようとしたその時、
「入ったんじゃないかな。」
Tさんの声がした。
※腋窩;腋の下。
※内転;この場合、肩を支点に腕を振子のように内側に回す動作。
「えっ?」
一瞬、自分の耳を疑った。
「スーッと動いたのがわかった。入ったみたいだ。」
僕はその言葉で我に返り、確認のために左肩峰端に触れてみると、さっきまで凹んだようになっていたのが、今は膨らみが出来ている。そして、最初鎖骨の位置に触知できた骨頭はもうそこにはなかった。
まさに授業で教わった通りだ。
「入ってますね。」
そう答えたものの、手ごたえがなかった(整復音が聞こえなかった)のと十中八九ダメだと思っていたのとで、整復が成功したということがまだ全面的に受け入れられないでいた。
でも、とにかく、もう屋根の上にいなくていいんだと思うと、重(おも)しが取れたみたいに心がみるみる軽くなってきた。
あとは、Tさんが屋根から下りられるかどうかだが、その点はこちらが心配するまでもなく、自分から梯子(はしご)に足を掛けて一人でサッサと下りていった。
僕は、雪の上から濡れた手袋を拾い上げ、Tさんの後に続いた。そういえば、屋根の上ではずっと素手だったのに、冷たいとか寒いという感覚はまったくなかったことに気がついた。
Tさん親子に見送られ、再び親戚の男性の運転で家に着いた時は、正午を回っていた。
今回のことで、実際に経験していなくても、学校や職場で教わった知識や実技が頼りになる味方になってくれるのだということを身を持って知ることが出来た。
また、専門学校の授業で牧内教務主任が、
「整復の中には、生涯で一回しか出遭わないかもしれないほど症例が少ないものもありますが、その一回のためにやり方を頭に入れておいたほうがいいです。」
と言われたのを久しぶりに思い出し、そのことの意味がよく分かった。
そして、
「整復がうまくいった後に飲むビールの味は格別だ。」
という牧内先生の言葉が、自分のこととして頷(うなず)けた。
ただ、後になって
『痛くなった。』
とTさんが来るんじゃないかという不安も心のどこかにあったが…。
一か月余りして現場付近を車で通りかかった時、ふと思い出して減速し、フロントガラス越しに屋根を見上げた。
『よく、あんな狭くて急な斜面でやれたな…』
と、今更ながら胸をなでおろした。
Kさんの納屋の屋根は、そこでひと騒動あったのが嘘のように柔らかな早春の日差しをいっぱいに浴びていた。
(医療・介護の世界に足を踏み入れて 完)
[次号 12月24日]