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         浄円寺コラム<62>     2022,8,20重共聡

 小さな失敗談<その3>

 33~4才、塾を始める少し前の頃だったと思う。

 金曜の午前中は、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅(みょうがだにえき)近くにある新体(しんたい)道(どう)という武道の道場に通っていた。

 その日のお昼頃、稽古を終えて川口へ帰るため、丸ノ内線で池袋駅まで行きJR埼京線のホームへ通じる長い階段を上ろうとしていた。

 

その時突然、頭上(ずじょう)のホームで発車のベルが鳴り響いた。

 急がなくても10分ほど待てば次の電車が来るのだが、体は反射的に階段を1~2段ずつ飛ばして駆け上がっていた。そしてちょうど上(のぼ)りきった、その時、ベルが鳴り止んだ。

僕はとっさに、ドアの閉まる寸前(すんぜん)の一番近くの入口にジャンプした。

「✰✰✰✰✰」

 その瞬間、意識が飛んでしまった。

 

気がついたら車内のドア付近に仰(あお)向(む)けの状態でひっくり返っていた。

『一体どうなったんだ?』 

 一瞬、何が起きたのか訳(わけ)が分からなかったが、すぐに事態が呑(の)み込めた。

飛び乗ろうとジャンプしたはずみに、電車の入口上部(じょうぶ)に額(ひたい)をぶつけて空中でバランスを失い、勢い余(あま)って胴体の方から車内へ飛んで行って落下したのだ。

 途切れた記憶の前後がつながった途端、強烈な痛みが頭部を襲ってきた。

 

 金曜のお昼のため乗客は少なかったが、みんな見て見ぬふりをしているようだった。

 自分だけがひっくり返ったままで、みっともないという感情が頭部の激痛を上回(うわまわ)っていた。

『今はとにかくこの状態から抜け出すことが、最優先(さいゆうせん)課題だ。』

気力を振(ふ)り絞(しぼ)って上体を起して立ち上がり、出入り口のドアのそばまで体を運んだ。

 頭は相変わらずガンガンしていたが、必死に耐えながら何事(なにごと)もなかったように窓の外を見ている風(ふう)を装(よそお)った。

 

『人生、思わぬところに落とし穴があったな。』

そう思いながら…。

 

 

 われ許されて生きる道 2022夏

「今度、かず良(ら)へお昼食べに行かないか?」

「いいですね。」

 桜が池に合掌造り『かず良』を移築した伸ちゃんの弟のセイジさんからの提案にすぐに賛成した。

かず良は南砺市に売却される5年前まで月忌参りに行っていたのだが、市の委託業者によって改装されてから訪れるのは初めてなので、どんなふうに変わったのか関心があった。

 そして、カレンダーにチェックを入れておいた6月の最終日曜が来た。

かず良の中へ入るなり、南砺B級グルメのヒット商品「ナンナンマブマブ」のメンバーである地元西明(さいみょう)地区の山﨑夫人と鉢合(はちあ)わせした。奥の客席では前田久夫人が応対していた。調理に来ているとのことで、出来過ぎた巡り合わせに、来る前の緊張感が一気にほぐれていった。

 

内部はすっかり変わっていて混み合っていた。

 僕自身は、以前のイロリのあった頃の方がのんびりできたなとも思ったが、これも時代の流れなのかなと思い直した。

セイジさん夫妻、伸ちゃんの奥さんミワコさんと4人でテーブルを囲んでいるところへ、セイジさんの親戚である五箇山西赤尾のミツグさん夫妻がみえた。

 筋金入りの念仏者であるミツグさんが言った。

「トーゲワジョーの法話カセットテープがあるんだけど、聞いてみる?」

「トーゲワジョー??」

 一瞬何のことか解らなかったが、遠い記憶の彼方からある漢字が浮かび上がってきた。

「トーゲってどんな漢字ですか?」

「藤と解で藤解和上だよ。」

「もしかして、広島の大石法夫(のりお)さんの師匠ですか?」

「そう。大石法夫さんは友達だよ。」

「そうでしたか。僕は藤解をトウカイ先生と呼んでいました。」
僕自身、大石法夫さんの本は2、3冊持っていて、一時期夢中になって読んでいたの

で、その大石さんと法友だというミツグさんの交友の広さにビックリした。
そして、今日ここでミツグさんの口から、まさか藤解先生の名が出てくるとは思わな

かった。

 
ここに一冊のファイルがある。

 1994年にNHKラジオ深夜便で放送された大石法夫さんの話のコピーだ。

 だいぶ以前のもので、どういう経緯で手に入れたかは忘れてしまったが、インパクト

のある内容で、繰り返し読んでいた時期があった。

 その中に大石さんの師匠の藤解先生が出ていたのだ。

 以下にちょっと紹介してみたい。

 

 お師匠様が作られた歌の中に「われ許されて生きる道」というのがあります。

  おいしきものは まず人に いやな仕事はわしがしよう

  理屈言うならまず負けて 向こうの言うこと聞いてゆこう

  なるべく心を広くして すべてのものに 手を合わせ

  時間をむなしく過ごさずと たとえ力は足らずとも

  御恩報謝の祈りにて させていただく心こそ

  われ許されて生きる道 よくなりたいとは思わねど

 

 この歌を聞いた時にね、「許されて生きる道」と言う部分ですね、私は「許されて生きる」ということは聞いたことがないんですね。

 権利、義務、それに優劣を競う世界の中で、ずっと人を、人生を見てきました。それでね、お師匠様のお供で郷里の町を歩くときに、

「先生、私は許されて生きるということを聞いたことがありません。誰が許すんですか?誰が許されるんですか?」

と聞いたんです。

 救うてもらうというても、自分が見えていないんですから解らんわけです。そしたらお師匠様は端的に、

「わしの生活は天に許され、地に許され、いっさいに許されていく生活です。」

と。私には解らんけど何か私の救われる世界は、そういう世界にあるんだろうという気がしました。

 競争の中にあっても、世間でいう優者も劣者も、ともに救われる道があったということを教えてもらいましたが、本当に知らせてもらったのは何十年も後です。

 だが、最初に、おいしきものはまず人に、と聞いて「わしは違うぞ。」と思ったんですね。まあ取ったり、奪ったりしてまでおいしいものを食べようとは思わんけど、だがそれもまだあいまいなんです。性根を突いたら、それが自分だと思わされるんです。

「いやな仕事はわしがしよう。」にしても、こっちはいわゆる奥の方に座ってね、イスに座ってね、いやな労働は人にさせて、きれいなことですまそうと。給料だけはもらいたいと。それがみな反対なんです。教えに照らされますとね。

 簡単なことでありますが、理屈言うならまず負けて、というても、これも反対の生き方をしているわけでしょう。それが見えてきませんとね、なかなか仏様の本願ということは、私の心にしみ込んできませんでした。そうなれたのは何十年も後です。

 これも机について考えたんじゃ解りません。

 お供であちこちに行ったり、聴聞しながらね。私はだいたい世間的に言えば人間が鷹揚(おうよう)な方で、親に甘やかされて育ってきましたからねえ、だから、食べえ、と言われたら食べればいいくらいに思うてきたんです。寝え、と言われたら寝りゃいいと。それが素直な態度だと。娑婆の世界ではそうなんです。

ところが仏法はね、このね「人間が素直だ」じゃあ通らないんです。これは底を突いたら同じだから、人間の心は。奪ってでも食うていきたいとね。だが仏様に照らされたら人間は同じです。みな救うてもらわにゃあいけん凡夫なんだと。

「あれよりわしの方がまだましじゃ。」と思っている間は、絶対に解らんのです。

                        NHKラジオ深夜便「心の時代」より

 

<連載企画>第三部 リハビリ日誌

 長生きの秘訣

 マッサージの利用者のうち毎回二人は九十代の方(かた)がいる。

昔は喜寿(きじゅ)(七十七歳)と聞いただけで相当高齢に思えたものだが、デイへ来て以来最近の七十代は本当に若いという印象に変わっている。

 以前は九十代の人に会うことすらなかったのだが、毎回接していていかにも九十代という方(かた)があるかと思えば、立ち居振る舞いや会話が六十、七十代の人と何ら変わらず、本当に九十歳越しているのかいなと思う方も何人かおられる。

 なんでかなと思いながらマッサージさせてもらっているうちに、あることに気がついた。

 彼らに共通していえることは、カラッとしている点だ。

 誰とでも気さくに話をされるし、あまり物事(ものごと)を深刻にとらえないようなのだ。

 ある時、九十歳を越えてもなお意気(いき)軒高(けんこう)な関本さん(女性)に尋ねてみた。

「ストレスは溜(た)まらないですか?」

「そんなもの、ありゃせんよ!」

と即座(そくざ)に返ってきた。

 それで自分の中で、ある結論に達した。

 長生きとストレスは相(あい)反(はん)する関係にある。

 

 九十七歳の青沼さん(女性)がデイを去る時、みんなの前で最後のあいさつをした。

「ほんとは、ここにいたいのよー」

「でも、世話しに来てくれる娘たちのことを思うと、元気なうちに老人ホームに移った方がいいと思って…」

 毒舌家の芝崎ナースが涙ぐんでいた。

 青沼さん、その後お元気ですか?

                           (つづく)[次号 9月3日]

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