真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<7> 2020,7,11重共聡
仮面の告白(※)
平成十八年九月、僕は実家のお寺を継ぐために、二十一年近く暮らした埼玉県川口市から生まれ故郷の西明へ戻ってきた。
その一年半前、新宿区高田馬場のオレンジ接骨院と練馬区立錦デイサービスセンターをかけもち、北区滝野川西区民センターで始めた日本鄭子太極拳研究会では時々台湾研修を企画していた。
それで、浄円寺本堂で西明地区の評議員、浄円寺役員を交えての話し合いの席では、心の中は東京にあった。
あのことが起こるまでは…。
平成十七年四月、父からの、
「とにかく帰ってきてくれ。」
との電話をもらい、土曜の夜、急遽(きゅうきょ)埼玉から帰省した。
理由を知ったのは帰宅して間もなくだった。
本堂・庫裏(くり)の屋根と床の改修工事をするにあたって、僕がお寺へ戻るかどうかをはっきりさせてほしいとのことで、その件で、翌日曜に西明地区の評議員とお寺の役員の人達が本堂へ集まるのだという。
土曜の晩は父と母と僕、三人で話し合った。
両親は経済のことを一番心配していた。
「お寺の仕事だけで生活していくのはとても無理やぞ。」
と言われた。
それまでも帰省すると時々父から、
「これからどうするが?」
と耳の痛い質問をされていたが、その度に避けて通ってきた。当時の東京での生活が居心地がよかったのが先延ばしにしてきた理由だ。
僕自身は、その時点では八割方(かた)東京に残る考えだった。
そして当日夜、本堂に評議員の人達と責任役員の山本さんら十数名が集まった。
内陣に向かって左側に山本さんと父と僕、反対側に評議員の人達が向き合う格好になった。
結局その日は結論が出なかった。山本さんが、
「遅かった。遅かった。」
と悔やんでおられたのが耳に残った。
帰りは城端線で高岡駅まで行こうと思い、翌日の夕方城端駅まで両親に車で送ってもらうことにした。
それは、家から城端駅までの七~八分の車中で起こった。
車の後部座席から、暗がりの中を見慣れた景色が過ぎていくのを追いながら、
「もうこの寺に戻ることはないんだなあ。」
と思った。
後ろ髪を引かれるとはこういう時のことを言うのだろう。
その時だった。
何の前触れもなく、不意に亡き祖父と妹の姿が脳裏に現れたのだ。
シルエットになった本堂の建物を背景に、何も語らずただこちらを見つめている二人がいた。
それとともになぜか目に涙が溢(あふ)れ、せきを切ったように流れ始めた。
母が運転し、父が助手席にいたと思うが、両親に気づかれないようにするのがやっとだった。
その日を境に、僕の心は逆の方向に舵(かじ)を切り始めた。
今から考えると、あの時頭の中に二人の姿が浮かんだのは、それだけお寺や庫裏に祖父と妹の思いがこもっていたという事なのだろう。
ただそれは、その後の人生を左右するほど、自分にとって衝撃的な出来事だった。
※仮面の告白…三島由紀夫の小説のタイトル。
水戸黄門と浄土真宗
如来の智慧の光明に照らし出された自分の正体に、懴悔(さんげ;悔い改める)のこころが起こって、自ずと頭が下がる。
言いかえると、教えのはたらきで、自分が煩悩熾盛(ぼんのうしじょう;煩悩が燃え盛った)罪悪深重の身だと知らされ、その時慚愧(ざんき;強く悔やむとともに自ら恥じる)のこころが沸き起こって思わず頭が下がる。
これが、真宗の仕組みじゃないかと思っています。
ところで、テレビで国民的人気の時代劇を三つあげるとすれば、何が浮かびますか?
大岡越前、遠山の金さん、そして水戸黄門は譲(ゆず)れないところだと思います。
これらは、典型的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のストーリーで、善人と悪人が最初からはっきりしていて、正義が悪を退治するというおきまりのパターンですが、その解りやすさが大勢の人を引きつけているのでしょう。
そこで、僕が今回テーマとして取り上げたいのは、今あげた三つの人気TV番組のうちの水戸黄門です。
主役の黄門様は、初代の東野英治郎にはじまり、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二ときて、最後に里見浩太郎が演じたのは、皆さんご存じのとおりです。
ストーリーは、大抵、越後屋と悪代官のような悪役が出てきます。ある藩でその二人が悪だくみをして善良な庶民を苦しめていると、そこを通りかかった水戸御老公一行が関わって、悪事を暴(あば)くというおきまりのパターンです。
悪人が極悪非道なほど、そして水戸黄門の正体を知って慌てふためくほど、気分は爽快になります。我々は水戸黄門になりきって、それまで悪役に対して膨(ふく)れ上がっていた憎しみが、印籠(いんろう)登場のシーンで一気に解消されて、同時に日常生活の嫌なことも、一時的にしろどこかへいってしまいます。
確かに、それは水戸黄門を見ることによる最大の効能には違いないんですが、もう一つの魅力があることに気がつきました。
それは、水戸黄門が大岡越前や遠山の金さんと違うところでもあります。
それは、どこだと思いますか?
水戸黄門のクライマックスといえば、助さん格さんが悪代官の手下達とチャンバラをやっているところへ、黄門が、
「もうこの辺でいいでしょう。」
と促(うなが)すと、助さんまたは格さんが叫びます。
「静まれ、静まれ!」
そして印籠を掲(かか)げ、
「この紋どころが目に入らぬか!」
「こちらにおわすお方をどなたと心得る?」
「畏(おそ)れ多くも先の副将軍、水戸光圀(みつくに)公にあられるぞ!」
「一同!御老公の御前(ごぜん)である。頭(ず)が高い。控(ひか)えおろう!」
すると、その印籠の葵(あおい)の紋に度肝を抜かれた悪代官と越後屋と手下達は驚愕(きょうがく)の表情をみせ、
「ハハー!」
と、一斉に地面にひれ伏す。そのシーンでしょう。
そして恐らく、皆さんは水戸の御老公か助さん格さん、あるいは由美かおるになりきって、正義感に燃えて一緒に悪を裁いていると思います。
にっくき悪を裁いて、正義は最後には必ず勝つんだと納得して終わる。単純なストーリーだと解っていてもこの爽快感と納得感があるゆえに、視聴率は一定の水準を保ち続けているのだと思います。
ここで、ちょっと悪役の表情に注目してみたいと思います。
印籠を見る前と後では明らかに違っています。
印籠の前はいかにも憎々しい不敵な面構(つらがま)えの悪代官が、印籠を目にした後は、毒気を抜かれたように眉間の皺(しわ)が消え、むしろ何かさっぱりとしたようにさえ見受けられます。
三つ葉葵(あおい)の印籠を目にした途端、気持ちを入れ替えたように、あっさりと地面にひれ伏す、そこが、水戸黄門と他の二つ大岡越前や遠山の金さんと違っているところだと思います。
つまり、言い訳や自己弁護をせずに、素直に罪を認めて観念している姿が、そこにはあります。
そして、我々はその姿を見て、こころの中でホッとしている部分があるのではないでしょうか。
ところでこの構図、何かと似ていると思いませんか?
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第一部 大東医専物語
茂吉の弟子
この学校に来てまさかこんな先生と出遇うなんて、ラッキーとしかいいようがない。
文学担当の大坂先生。彼は歌人斎藤茂吉の直弟子で、前期は論語、後期は短歌を教わった。
なぜラッキーだったかというと、僕が富山にいた二十代の頃、『お茶を飲んで歌を詠(よ)む会』という集まりに顔を出して、短歌をやっていたことがあるからだ。
同年代の四~五人で藪内(やぶのうち)流の先生にお点前(てまえ)を習い、持ち寄った自作の歌を披露するという趣向だったが、褒(ほ)め合って絶対にけなさないところがみそで、お互いに自分の作に悦に入っていた。
茂吉は有名だし、大坂先生に教わると自分は孫弟子ということになるのかなと、勝手に決め込んでいた。
自作の歌で、
「これはこれでいいですね。」
と、一応お墨(すみ)付きをもらったのがある。
自分のやっている武術の心得について一句ひねったもので、
『対すれば、我も相手もなかりけり。天に任せてただ動くのみ。』
大坂先生も僕の熱心さ(?)に、よく自分の載っている機関誌をプレゼントしてくださった。
茅ヶ崎旅情
「一度家へ遊びに来ませんか?」
以前からクラス委員長の弦弓さんに誘いを受けていたこともあり、一学年が終了した春休みにおじゃますることにした。
春分の日の午後一時半、茅ヶ崎駅改札口で待ち合わせた。
箱根駅伝コースにもなっている海岸沿いの道路を走り、駅から車で二十分位で閑静(かんせい)な住宅街に入った。
奥さんと、高校・大学の二人の娘さん、それに二匹の猫が出迎えてくれた。
縁とは面白いもので、奥さんも太極拳をやっていたことがあり、その友人のAさんは僕もよく知っているのだ。十年近く前にAさんが太極拳の会を旗揚げした時、茅ヶ崎チサンホテルの合宿に呼ばれたことがある。だから茅ヶ崎はこれで二度目になる。
奥さんの手料理と娘さんの手作りのクッキーを口にしながら、弦弓さんの高校、大学時代の話に耳を傾けていた。
僕はもともと無口なため、こういう時は大抵聞き役に回る。そのためか、友人はよくしゃべる連中が多い。だから自然に相づちのうち方や話の引き出し方がうまくなったみたいだ。
無口だといっても、乗ってくると普通にはしゃべるようで、この日は気を張っていたせいもあり、けっこう人並みに口を動かしていたようだ。
ただ、初めて訪れたので多少遠慮していたところがあり、味噌汁がとてもおいしくてもう一杯お代わりしたかったのだが、図々しいかなと思って我慢したのが心残りだった。
娘さんは二人とも素直で可愛らしく、あいさつに顔を出した時、弦弓さんが冗談に、
「緊張しないで。」
と言った言葉を自分にかけられたものと勘違いして、笑ってごまかそうとしたくらいだ。
ひとつ驚いたことがある。帰り際(ぎわ)玄関先で、
「どうもお世話になりました。」
と僕があいさつすると、下の娘さんが、
「また来てください。」
と言って見送ってくれたのだ。
まだ高一なのによくこんな言葉が出たなと、しつけのよさに感心してしまった。そのことを後から弦弓さんに話すと、
「よくお客さんが来るから、自然に出たんだろう。」
と言っていたが、それにしても僕は初めて訪れたわけだし、とにかく感心してしまった。 (つづく)
[次号7月25日]