真宗大谷派 浄円寺
39
浄円寺コラム<39> 2021,10,2重共聡
<スポーツの日特集>
替(か)え玉(だま)出場 1979秋
二十六、七才の頃だった。
ある晩、当時打ち込んでいた拳法道場の先生が言った。
「重共さん、今度、市の陸上競技青年大会にうちの地区で急に出られなくなった者がいて、代わりに彼の名前で出てもらえませんか?」
どういうことかと言うと、毎年砺波市の陸上競技場で青年が集う大会があり、道場の先生の地区から三段跳びに出場予定だった男性が出られなくなったので、代わりに出て欲しいという。
僕自身は砺波市の人間じゃなく出場資格はないので、エントリーした人物の名前のままで出て欲しいとのことだった。
「いいですよ。」
頼まれたら断れない性格も手伝って、すぐに了解した。
そして当日。
三段跳びの試(し)技(ぎ)は4回くらいだったと思う。
ラスト一回を残して僕は五位だった。「こんなはずじゃ…。」という情けない気持ちと、「現実はこんなものかな。」というあきらめが交錯(こうさく)していたが、とにかくあと一回だから全てを出し切って跳ぼうと心に決めた。
そして、自分の番が来た。
ホップ・ステップときて最後のジャンプの時、渾身(こんしん)の力を込めて左足を叩きつけるように地面を蹴(け)った。
すると、思ってもみない結果になった。
トップに躍(おど)り出たのだ。
その後、僕の記録を上回(うわまわ)る選手はなく、とうとう優勝してしまった。
リレーにも駆(か)り出された。かけっこは割と得意(とくい)な方(ほう)だったので、一人追い抜くことができた。
ところが、その一人がよりによって元高校陸上部のキャプテンだったのだ。
彼は、僕が引き上げようとしているところへ旧知(きゅうち)の間柄(あいだがら)のように近づいて来た。こちらは彼の問いかけに曖昧(あいまい)な返事をしながら少しずつ離れていった。
正体がバレないかヒヤヒヤしたが、難を逃れることができた時はホッとした。
数日後、道場の先生が弱った顔をして言った。
「重共さん、申し訳ないけど県体の出場を辞退してもらえませんか?」
「はい、もちろん。」
市の大会の優勝者は県体の出場資格が得られることになっていたとは知らなかったさらに、嬉しそうに言葉を継(つ)いだ。
「うちの地区で優勝者が出たのは初めてですよ。」
そう言われて悪い気はしなかったが、最後の試技のジャンプの際に思いっきり左足で地面を蹴ったのが原因で踵(かかと)を負傷し、翌日から松葉杖の生活が始まった。
結局、普通の運動に戻れるまで半年以上かかってしまった。そして、左足での踏み切りが永久に出来なくなるというおまけまでついた。
もっとショックだったのは、しばらくしてあることに気がついた時だ。
今回三段跳びで出した記録が、中学二年の時よりも悪かったのだ。数値(すうち)をいくら見比べても変わるはずはなく、愕然(がくぜん)とした。
年令による体の衰えを感じるようになったのは、それが最初だったと思う。
私のしあわせ 原稿⑦
病床の私にもお役に立つことがありました。
それは周りの人々や看護してくださる人にほほえんで、
「こんにちは。」
ほほえんで、
「ごくろうさん。」
ほほえんで、
「ありがとう。」
と感謝の言葉を贈ることです。
こんな寝たきりの私にも、喜んでいただける愛のプレゼントがあったのです。
うれしいことです。
幸せなことです。
心配するな 原稿⑧
心配するな。
娑婆のことは何とかなる。
なった時に考えればいい。今のしあわせが見えなくなる。
どうにもならないことは、お任せすることだ。
今できることをする。
道はおのずと開かれる。
心配することはない。
やがて時間が解決してくれる。
時は愛だから。
朝のよろこび 原稿⑨
今朝もまた尊い命をありがとう。
何ものにも替(か)えられない喜びです。
いただいたいのちです。
いただいたいのちは、いただいて生きる。
上もなければ下もない。
間に合うものとか、間に合わないものとかの差別もない。
天地の愛はみな同じ。
卑下(ひげ)することなかれ。天地いっぱいみな同じ。
賜(たまわ)ったいのち。賜った今日。
いただいたいのちは、いただいて生きる。
この仏の道。
感謝は力なり。
感謝は喜びなり。
感謝は光なり。
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第二部 医療日誌
佛手佛(ぶっしゅぶっ)心(しん) 1996春
柔整専門学校の卒業式後の謝恩会で、校長を始め何人かの先生方が口をそろえて『心』の面を強調していた。
特に「顆上(かじょう)の牧内」と言われ、上腕骨顆上(じょうわんこつかじょう)骨折の整復(せいふく)では右に出る者がないといわれる教務主任の牧内先生が、
「真心(まごころ)を持って患者さんに接することが一番大切です。技術的なものはそんなに違いはありません。」
と言われたのには、ちょっと意外な気がした。
そして、そのことを気づかせてくれる出来事が起(おこ)った。
今年の初め、千葉県流山市(ながれやまし)の整形外科に転勤になった。
ようやく仕事や人間関係に慣れてきた三月に入って間もなく、仕事帰りに、チーフ(主任)の小久保君(二十代)や、いつも元気はつらつとした関和(せきわ)君らと、南浦和にある掘(ほり)炬燵(ごたつ)ふう居酒屋に立ち寄った。
いつものように大ジョッキで乾杯し、ひとくち目をのどに流し込んだあと、小久保君が口を開いた。
「いやぁ、今日は感動しましたよ。」
「どうしたの?」
と尋ねると、その日、一階の待合室で起った出来事を語り始めた。
ここで、この話に登場する二人の患者さんについて簡単にふれておきたい。
西町さん(仮名 七十代女性)と小野沢さん(仮名 八十代女性)で、二人は大の仲良しで、毎日杖(つえ)を頼りにリハビリに来院している。
そして交(か)わす会話がまた、とてもウィットに富(と)んでいて、西町さんの突っ込みに対して小野沢さんのボケが絶妙(ぜつみょう)で、二人がいると周りは笑いが絶えないのだ。
ある日のこと。三階でマッサージが済んだHさんが、ベッドから下りようとしてバランスをくずし床に四つん這(ば)いになってしまった。
きまりの悪そうにしているHさんにすかさず西町さんが、
「百万円でも落ちていたかい?」
と、言葉を投げた。
また別の日、椅子に腰掛けてマッサージを待っている小野沢さんに僕が、
「大丈夫ですか?順番が来るまでベッドで休んでいてもいいですよ。」
と声をかけたが、ちょっと耳の遠い小野沢さんは気がつかないようだった。
そこで、西町さんが代わって、
「重共先生が、ダイジョーブかって聞いてるよ!」
と大きな声で言うと、小野沢さんは、
「えっ!ダイアナ妃が離婚するって?」
と言った。
その瞬間、周りは爆笑の渦(うず)に包まれた。
ちょうどその時、テレビではダイアナ妃の「問題の会見シーン」をやっていたのだ。
(つづく)
[次号 10月16日]