真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<36> 2021,8,21重共聡
しずかさや 2021夏
友人で北米開教使の名倉さんがハワイ別院で活動していた頃に尋ねたことがある。
「ハワイは年中温暖な気候でいいですね。」
すると、意外な返事が返ってきた。
「ハワイには、日本にいて感じる無常観が味わえないので、やはり四季折々の変化のある日本が恋しくなってきます。」
という内容だった。
それを聞いて、ハワイへの憧(あこが)れはなくなった。
この原稿を書いている今は7月26日午後5時過ぎだが、窓の外は、「ジージージー」「ミーンミンミン」「カナカナ」などセミの混声合唱で賑(にぎ)わっている。
芭蕉に、
閑(しず)かさや 岩にしみ入る 蝉の声
という有名な句がある。
三十年くらい前のラジオだった。
「岩にしみいる声の主はどの蝉だろうか?」
というテーマで話をしていた。
僕自身はそこまで深く考えたことがなく、蝉といえば「ミーンミーン」だから、芭蕉の句で浮かぶのはこの鳴き声だった。
ところがラジオ番組では、松尾芭蕉がこの俳句を詠んだとされる同じ日の同じ時刻に現地へ行き、その場所に立ってみたというのだ。つまり7月13日山形市立石寺(りっしゃくじ)へ実際に足を運んだ。
そこで耳に入ってきたのは、ヒグラシだった。
「えっ!ヒグラシ?」
それを聞いて意外に思ったのを覚えている。
これについては、ニイニイゼミやアブラゼミなど諸説あるようだが、「ジージージー」「ミーンミンミン」「カナカナカナ」それぞれの鳴き声で味わうのも、この句の楽しみ方が広がっていいんじゃないかなと思う。
そのヒグラシの声が昨夏は一度も聞けなかった。
正確には一度聞いた気がする。これからヒグラシの季節だなと思った記憶がかすかにあるからだ。ところが、その後は一度も聞かれなかった。
したがって、忘れ物をしたような夏だった。
今年はどうかなと思っていると、7月10日の夕刻に隣りの根(ね)井(い)さんの屋敷林からカナカナの声が届いた。
翌日は斉藤さんの方角からも聞こえてきた。
翌日も、その翌日も、そしてうちの屋敷林からも降って来た。
毎朝4時25分前後から約25分間、そして午後4時を回った頃から再び鳴き声が聞かれ、去年の分まで夏を満喫(まんきつ)している。
ちなみに、今年は「ジージージー」が一番早く6月26日から始まった。次が「カナカナカナ」の7月10日。「ミーンミンミン」は7月20日に初鳴きがあった。
「ツクツクホーシ」はまだ聞かれない。(※)
「うちの地元では、ホーシツクツクと鳴きます。」
本山の研修で知り合った秋田の若手の坊さんが言っていた。
ところ変われば、蝉の鳴き方も変わるということか…。
ちなみに、北海道日高町で農園をやっている従兄(いとこ)に聞いたら、「カナカナ」と「ツクツクホーシ」は耳にしないと言っていた。
※浄円寺周辺では8月4日に初鳴きがあった。
勝(しょう)他(た)の煩悩 2021夏
57年ぶりに開催された東京オリンピック。
テレビの前で『勝他の煩悩(※)』を全開している。
選手になりきって盛り上がった柔道。日本が金メダルを取ると手を叩いてよろこび、技ありをとられると悔しがる。手に汗握るとはよく言ったもので、両手のひらは油を引いたようになっていた。
スポーツ観戦はこのハラハラドキドキがたまらない。
別の見方をすると、自分の思い通りの結果になると、
「よくやった!」
と選手をほめたたえ、自分に都合の悪い結果になると、
「期待外れだったな。」
と選手のせいにする。
『差別意識』も高揚(こうよう)していて、相手の選手が失敗すると喜び、予選落ちした自国選手よりも、メダルを取った選手の方を持ち上げる。
日本対フランスの柔道混合団体決勝だった。
フランスの金メダルが決まった瞬間、フランスの選手たちが畳の上に上がって、飛び跳ねて喜んでいた。
それを日本の選手たちは横一列になって眺めていた。
この時、57年前のある光景がよみがえってきた。
柔道の最終日、無差別級決勝でオランダのヘーシンクが一本勝ちした時のことだった。
オランダの柔道関係者がうれしさのあまり畳に上ってヘーシンクに駆け寄ろうとしたのを、ヘーシンクは手で制したのだ。
失われつつある日本武道の精神を、このオランダ人が体現していることに目を見張った。
こんな光景も目を引いた。
陸上競技女子5000mの決勝を見ていた時だった。9位でフィニッシュした日本の広中璃梨佳(ひろなかりりか)選手がトラックに向かって一礼して引き上げていったのだ。
彼女だけではない。男子110mハードル準決勝で金井(かない)大旺(たいおう)選手は、転倒して最下位でフィニッシュしたにもかかわらず、自分の走ったレーンに向かってお辞儀をした。
野球の日韓戦では、押さえで登場した栗林良吏(くりばやしりょうじ)投手が、まずマウンドに一礼した。
これは、他国の選手には考えられないことだ。
金メダルを取って、グラウンドにひざまずいてキスする光景はたまに見かけることはあるが、それとは違う気がする。
自分のプレーする場。畳に限らずグラウンドやマウンド(野球)を神聖な修行の場と考えているからだろうか。
喫茶店のマスターをやっている高校の先輩の見方はちょっと違っていた。
「それは感謝の心だよ。(場所も含めて)自分をサポートしてくれた人達への感謝の思いで一礼しているんだよ。」
そういえば、
「ありがとうございました。」
と発声する選手もいたな…。
※勝他の煩悩…他人に勝とうとする煩悩のことで、他人を打ち負かしたり、他人より優れていることを誇ることを指す。
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第二部 医療日誌
渋谷駅午後十一時 1995秋
その日飲みに行った帰り、連れの女性二人と渋谷駅のプラットホームで新宿方面の山手線を待っていた。
すると突然、近くでざわめきが起こった。
振り向くとその先には二十才前後の女の子が倒れていて、周りに小さな人だかりが出来ている。
でも、皆その子の方に視線を向けて傍観(ぼうかん)しているだけで、誰一人声をかけようともしない。そのまま通り過ぎて行く人たちもいた。
「どうしよう。」
とためらったのは一瞬で、自分の足は勝手に現場に向かって歩き出していた。
横たわっているその子の頭側(とうそく)にひざまずきながら、こんな時はどうすればいいのか、必死に考えを巡(めぐ)らせていた。
その時、専門学校で習った救急処置が頭に浮かんだ。
まず、すぐに起こさないでそのまま安静にしておくこと。次に、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けてみて意識の有無を確認すること。
そして、僕はその子の右手首の脈をとっていた。ところが正常値よりかなり低かったので心配になり、もう一度呼びかけた。
「大丈夫です。」
という返事が返ってきたので、ホームにしばらく寝かせて様子をみることにした。
脈拍が六十位に戻った時点で、連れの女性に手伝ってもらい電車に乗せた。どうやら脳貧血のようだ。
席は空いていなかったが、ドアのすぐ横に座っているサラリーマン風(ふう)の青年に、
「具合の悪い人がいるので、代わってもらえませんか?」
と頼むと、快(こころよ)くスッと立ってくれた。
ところが、新宿駅に着いて電車から下りた途端、彼女が、
「気分が悪い。」
と訴えたので、しゃがませて友達の一人に駅員を呼びに行ってもらった。
時刻はすでに午前0時を回り終電が近づいていた。
駆(か)けつけた駅員も、その子を一人駅に残すのは面倒だと思ったのだろう。ようやく立ち上がった女の子に、
「大丈夫?大丈夫?」
と念を押し、たいしたことがないと判断したのか、彼女を残したままどこかへ行ってしまった。
彼女を駅員にあずけて解放されたと思ったのも束(つか)の間(ま)、また振り出しに戻ったので、これからどうしようか考えあぐねていると、
「もう大丈夫です。」
とその女の子が言った。
口調が意外にしっかりしていたので、その子と帰る方向が同じ連れの友達に後は任せて、僕ともう一人はそれぞれの家路(いえじ)に着いた。
埼京線はもう電車がなく、山手線に乗ることにした。窓の外を流れていく明かりを目で追いながら、
「渋谷から新宿までの電車の中で、もう一人分席を空けてもらい、彼女を横にして休ませていたら、新宿駅で駅員を呼ばなくても済んだんじゃないだろうか。」
と後悔していた。
時間的(じかんてき)にすぐ新宿に着くと思ったのだが、病人にとっては長かったかもしれない。
ただ、渋谷駅のホームでとった自分の行動には驚いていた。
いつもは僕も傍観者(ぼうかんしゃ)に回る方なのだが、多分、半年前から整形外科に勤め始め、患者さん相手にテキパキとした行動を要求される現場に身を置いている時の習慣が、自然に出たのかもしれない。
どうしようかと躊躇(ちゅうちょ)している時間が殆んどなく、その時は体が先に動いていた。
行動に移るのに勇気は必要ないんだなと思った。
そして連れの女性に、
「どうもありがとう。あの時何とかしたいと思っているところへ重共さんが助けに入ってくれたので、とても嬉(うれ)しかった。」
と言われ、まんざらでもない気がした。
(つづく)
[次号 9月4日]