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            浄円寺コラム<35>       2021,8,7重共聡

<終戦特集>

美術の先生 1968    

戦後生まれの自分は戦争を直接体験したわけではないが、戦後のにおいの残っている空気の中で育った。傷痍(しょうい)軍人の恰好をした人がアコーディオンを弾きながら物乞いする姿は、子供ごころにも特異(とくい)な光景として目に焼きついている。

 

 高校一年の時、美術の授業中に先生が言った。

「君たちは、戦争についてどう思う?」

当時は、ベトナム戦争が激化していて、マスコミでは『ベトコン』とか『北爆(ほくばく)』という言葉が飛び交(か)っていた。

少しの沈黙の後に誰かが言った。

「自由主義を守るためだったら、しかたがないと思います。」

 すると、ベレー帽がよく似合ういつもはひょうきんな先生が、一瞬驚いたようだが、初めて見せる真剣な表情で言った。

「本当にそう思っているのか?どんな理由があるにしろ、戦争は絶対にいけないよ!」

 そしてシャツの裾(すそ)を持ち上げて、僕たちに背中を向けた。

そこには、生々しい銃創(じゅうそう)の痕(あと)が残っていた。

みんなの目がその一点に釘付(くぎづ)けになり、クラス全体が静まり返った。

頭で考えた理屈などは吹っ飛んでしまい、その銃弾の貫通(かんつう)した傷跡に圧倒されていた。

戦争というものを、はっきりとした形でつきつけられた、それが最初だった。

 

 別の形で戦争を意識させられたことがある。

一九九九年の秋、趣味でやっている太極拳の関係で本場台湾へ行き、本部教室へ初めて連れていってもらった時だった。日本から来たということで、七十~八十人位の台湾の人達に歓迎された。         

すると、しばらくして僕ら日本人二人と引率してくれた邱先生がいるところへ八十才位の男性が近づいてきて、台湾人の邱先生に何やら険(けわ)しい顔をして大声でまくしたて始めた。

 

中国語なので意味はまったく解らなかったが、険しい顔つきや『リーベンレン(日本人)』という単語がしょっちゅう出てくることから、この人は、日本人に敵愾心(てきがいしん)を持っているなと、直感した。

後から聞くと、その八十才の男性は、蒋介石とともに中国から台湾へ渡って来た軍の将校だということだった。

「何で日本人を連れてきたんだ!」                       

と、抗議していたようだ。その時、自分が日本人だと言う事を否応(いやおう)なしに意識させられた。

戦争とは遠く離れた世代でも責任はあるのかなと考えさせられた出来事だった。

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

第二部 医療日誌

 包帯法

 二十代で会社勤めをしていた頃、仕事中、軍手(ぐんて)をした手に熱湯がかかりヤケドしたことがある。

 しばらく富山県砺波市郊外のヤケドの名医がいるという医院へ通っていた。

 通院して何日目かに、使っていた包帯を洗って返した時、その先生が言った。

「これ誰が巻いたの?」

「母です。」

と答えると、

「上手に巻いてあるね。包帯学という学問があるくらい、包帯は難しいんだよ。」

と、感心された。

 その時は、

「誰が巻いても、たいして変わらないんじゃないの。」

くらいにしか思わなかったのだが…

 

 その十六~七年後、再び上京した僕は整形外科に勤めていた。

 四十代の自分に対し、先輩たちは殆んどが二十代だった。

 早速与えられた仕事の一つが包帯巻きだった。

患者さんの使用した綿(めん)包帯を洗濯して、湿った状態のまま一旦(いったん)包帯巻き器で巻いてシワを伸ばし、乾かして再び包帯巻き器にかける作業だ。

 この作業は、休憩室で手の空(あ)いている人がやった。

 

包帯巻き器を使い始めて間(ま)もない頃だった。

 乾いた包帯を数本仕上げて一段落していると、そこへ二十代の女性柔整師が入って来て、僕が巻き終わった包帯を手に取り、その両端を持ってわずかに捻(ひね)った。すると、なんとガンガンに巻いたはずの包帯が一遍(いっぺん)にフニャフニャになってしまった。

 彼女は、黙って僕が巻き終わっていた包帯を全部ほどいたと思ったら、片(かた)っ端(ぱし)から巻き直し始めた。

 僕は、ただそばに立って見つめているしかなかった。単にグルグル巻けばいいというものじゃないことを思い知らされた。

それからは、年下の先輩たちのやり方をしっかりと見て学ぶことにした。

巻き方がなぜ重要なのかも解(わか)った。しっかり巻いてあると、実際患部に巻く際(さい)に巻き

易いし上手(うま)く巻けるからだ。

 具体的には、包帯の縦糸と横糸が斜めにならない様に目をきちんと合わせながら、半回転毎(ごと)にしっかり締(し)めてやると合格点をもらえることがわかった。

 

 そして、患者さんに巻くのはさらに苦難の道が待っていた。

専門学校で包帯法の授業はあったが、実技は口頭(こうとう)試問(しもん)の前に練習したくらいだった。

包帯デビューは診察室だった。

その日、小学校三~四年生の女の子が受診していた。ふいに院長から、

「重共君、包帯巻いてあげて。」

と言われ、

「ハイッ」

と返事して、台に女の子の前腕(ぜんわん)を乗せた。

たかだか十~十五㎝の範囲なのだが、専門学校の練習と実際の患者さん相手とでは緊張感がまるで違っていた。僕は無言で目の前の小さな腕と向き合った。

ところが、こんな時に限って不運なことは起こるもので、巻こうとした包帯がスルリと右手から滑(すべ)り落ちてしまった。

無情にもコロコロコロと白いバージンロードを敷(し)きながら、カルテをつけている院長の方に一直線に転がっていった。そして自分をあざ笑うかの様に院長が座っている椅子の下でピタッと止まった。

 慌(あわ)てて追いかけていき椅子の下に手を入れて回収したが、院長は気が付かないふりをしてくれたのか、何も言わなかった。僕はホッと胸をなでおろして仕事に戻った。

 

こんなこともあった。

 下腿(かたい)(すね)の包帯を巻いた時だった。中年の男性だったと思うが、巻き終わって、

「ハイッ!いいですよー。」

と言うと、患者さんは椅子から立ち上がった。

するとその途端(とたん)、きちんと巻いたはずの包帯がスーッと抜(ぬ)けて足元(あしもと)に落ちてしまったのだ。

一瞬の出来事で、言(い)い訳(わけ)する余地(よち)のないほど見事(みごと)に抜け落ちてしまった。

 強めに巻き直してその場を切り抜けたが、家へ帰って自分のスネを相手に包帯を反復練習したのは言うまでもない。

 整形外科は包帯を巻く機会が多く、いろんな部位(ぶい)の包帯を巻くことが出来た。在籍(ざいせき)した二年半の間に手が勝手に動くようになっていた。

 

テレビドラマの登場人物が包帯をして現れると、ついそこへ目が行ってしまうようになった。

だいたいにおいて、皮膚に馴染(なじ)まない新品の包帯が使ってあり、巻くというよりも当ててあるだけだなという印象が強い。

                                 (つづく)

                             [次号8月21日]

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