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宅配プチ説法 浄円寺コラム<5>      2020,6,13重共聡

プチ説法 

親まかせ 2007夏

「宿業です。」

今年3月、突然死で39歳の息子さんを亡くされた溝口さん宅を葬儀の二日後に訪ねた時、僕の顔を見るなり言われた。

 溝口さんとは親子ほど年が開いているが、僕が新卒で入った職場の先輩だったことからいろいろ教えていただき、会社を辞めて上京した後もつながりが続いて今日に至っている。

「今まで子供を育ててきたと思っていたのが、逆にこっちの方が育てられていたんだとハッと気づかされた途端、悲しみのどん底にいた心がスーッと楽になりました。」

とも言われ、この言葉を曽我先生の弟子である櫟先生に伝えたら、

「相当聴聞(ちょうもん;法話を聞く)しておられる方ですね。」

と言われた。

 

そして昨日、三ヶ月ぶりに溝口さんを訪れた。

前よりも憔悴(しょうすい)しておられるように見えた。

「人前に出るのが、もう億劫(おっくう)になりました。」

子供を先に亡くすということの悲しみの深さに、かける言葉が見当たらなかった。しかも、子供さんを亡くされるのはこれで二度目になる。

時々奥さんが顔を出して話に加わられた。

後半は話題が仏法へと進んでいった。櫟先生が言われたように、溝口さんは相当聞法しておられるということが、言葉の端々から伝わってきた。

 

母の女学校時代の友人の、40代で肝臓ガンに倒れた息子さんが残した詩、『貸与物件』を紹介すると、溝口さんの奥さんは何かを思い出したように席を立った。

そして、立て掛けてあった息子さんの写真額をゴソゴソやっていたかと思うと、裏に挟(はさ)んであった小さな紙片を取り出して、僕の前に差し出した。

手にとって見ると、うすく鉛筆で書かれた六行の文字が目に入った。

「これは、どなたが書かれたものですか?」

「私の母親が84才で亡くなる一ヶ月前に病院で書いたんですよ。

母は熱心な念仏者でした。いつも『有難い、有難い。』と感謝の言葉が絶えず、怒った姿を見たことがなく、私たち子供にも感情をぶつけたりしたことは、一度もありませんでした。   

そして、母の言うことは絶対に間違いはないと信頼して素直になんでも聞いていました。」

一言一言が、溝口さんの奥さんの人柄と相まって、素直に頷(うなず)けた。

棟方志功をはぐくんだ南砺の真宗風土。思わぬ身近に妙好人が育っていた。

 

             身体の病は医者まかせ

             心の病は親まかせ

             生きてよい

             死んでもよい

             六字の中で

             幸者は此の身なり

 

                           砺波厚生病院にて

                                 ゆき

                            

                     ※親 …真宗の本尊、阿弥陀如来のこと。

                     ※六字…南無阿弥陀仏のこと。

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

  • 大東医専物語

仕事「お待ちしておりまーす。」

塾の次の仕事は、学校が始まって四月中旬頃ようやく決まった。

それまで自己紹介で、

「無職です。」

と言うたびに、   

「いい身分だね。」

と返されるのがイヤで、日が経つにつれ気持ちがいらだってくるのが分かった。

 学校の近くにダスキンのクリーニングの会社を見つけて事情を話し、三年間の契約でようやく勤めることが出来たときは身も心も軽くなった。

 一カ月目はハウスクリーニングの仕事をやった。

 二~四人一組になって、一般家庭や会社、レストランなどのフロアー、壁、台所を掃除して回るのだ。

『学校』という映画で西田敏行扮(ふん)する先生が、生徒の職場を訪ねた際、成り行きで仕事を手伝っている最中に、床クリーニング用の大型掃除機に振り回されるシーンがあった。

あの苦労は自分も身をもって体験したので共感できたし、妥協しない正確な描写にはさすが山田洋次監督だと思った。

 

 ところが一カ月してようやく仕事に慣れ始めた頃、社長に呼ばれた。

「浄化槽の部門で一人辞めることになったため、来月からそちらへ回ってくれませんか?」

という話で、これは全く予想していなかったが、反射的に、

「一生懸命やらせていただきます。」

と言ってしまった。

 ただ、その時は浄化槽(水洗トイレの汚物処理槽)を貯水槽(水道水の溜め槽)と勘違いしていたのだが。

 浄化槽点検というのは、まだ公共下水道が引かれていない地域の、契約してある家庭や店、アパートなどを車で回り、浄化槽のフタを開けて水質、PH、透視度、塩素濃度や汚物の量を測定した後、ホースから水を引いて中を掃除する仕事だ。

 一件いくらの出来高制で、件数を稼(かせ)げばそれだけ収入が増えるのだが、初めの三カ月は地図で探しながら回るため大変だった。しかもこの仕事は定着率が悪いらしく、行く先々で、

「また代わったの?」

と言われるのが、ちょっといやだった。

 

 ただ、学校で千葉さんや二十才の小林(康)君が、

「毎日、大変ですね。」

と言って励ましてくれるのが、ほんとうに元気づけられた。

 その年の秋までは、給料の安さと仕事のきつさも手伝って辞めることばかり考えていた。現にK発酵という会社にも応募していた。

 そんなある日、ブロワーの修理に時間がかかり、終業時間をかなりオーバーして夜遅く会社へ戻ってみると、みんな(浄化槽は東京・埼玉・千葉を四人で回っていた)心配して待っていてくれた。

 その顔を見た瞬間、

「こんな自分でも必要としてくれているんだなぁ。」

と思い、この仕事を最後までやり通そうと心に決めた。一件当たりの手当ても十一月から上げてくれた。

 

 点検先の家で応対に出るのは殆んどが奥さん連中で、一人一人のこちらに対する接し方が千差万別なのは勉強になった。

 点検の様子をじっと見ていて、洗い方が足りない箇所を指摘する人や、やり方に対して会社にクレームをつけてくる人がいれば、毎回お茶とお菓子を出してくれる華道の先生、また、コーヒーあるいは缶ジュースが出る家があったり、気前のいいところでは、千円札を包んでくれるおばあちゃん、二千円のチップをポンと出す自営業のご主人もいた。

 

そんな中で、三カ月に一回の点検に訪れるのが待ち遠しい家が一軒あった。

 浦和市郊外にあるS倉さんというお宅で、行くと奥さんと五、六才くらいの男の子が出迎えてくれる。

 点検中は好奇心旺盛なその子の質問ぜめにあい、それから玄関先に腰を下ろして、点検カードに記入しながら三~四分世間話(せけんばなし)をした後、いつものように缶ジュースを二本もらって家を後(あと)にする。ただそれだけなのだが、車に戻った時には、心が洗われたようなとても爽やかな気分になっているのだ。

 

奥さんが特に美人というわけでもないし、十分二十分話し込む家は他にもある。

 なぜなのか考えてみたが、多分、その奥さんの生来(せいらい)の感じのよさと、健(すこ)やかに育っている子供から伝わってくる家庭の温かさ、そして、ともすれば低くみられがちな点検業者に対しても変わらない真情のこもった応対によるものだろう。

 たとえば点検日の前日、明日訪問する旨(むね)を連絡すると、次のように返ってくる。

「まーあ、どうも。わざわざお電話ありがとうございます。お待ちしておりまーす。」

                                  (つづく)

                               [次号6月27日]

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