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              浄円寺コラム<20>     2021,1,9 重共聡           

修正会(しゅしょうえ) 2021元旦

新年明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になり有難うございました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

去年の夏に西明部落で、念願だった駐車場を参道入口に作っていただきました。どうも有難うございました。見通しがよくなり、いろんな方々に利用していただいています。

 

昨年を振り返ってみますと、今までとは全く違う年になりました。

自分にとっては、お寺の行事で難しい判断を迫られた年でもありました。

 

3月の終わりに北陸病院で南砺市初のコロナ患者が発生しました。その翌日、月忌参りを休止することに決めました。

4月から6月まで3カ月近く家にこもっていて、7月にお参りを再開した時、今まで感じたことのない感覚がありました。

どういうことかと言うと、それまでお参り先で軽く交(か)わしていた会話が、3カ月ぶりに交わした時、まるで心の動脈に血が通って行くように、体に元気がみなぎってくるのを感じたんです。

コミュニケーションが如何(いか)に心と体にとって必要だったのかということを、身をもって知らされました。

 

お盆の戦没者追悼法要は、真夏なので戸を全開してやれば大丈夫だろうと、そんなに迷いませんでした。

一番悩んだのは報恩講でした。

世間的な流れは10月の大きなイベントはことごとく中止になっていたのですが、うちの周辺は報恩講を実施するお寺が多かったからです。

迷った末にやることにし、金沢の布教使に連絡すると、

「やるがけ?」

と、驚かれたようですが、

「(こういう時だからこそ)やった方がいいよ。」

とも言われ、背中を押された思いがしました。

当日は、本堂に石油ストーブを4台入れ、5~6センチの戸の隙間(すきま)を数カ所作って、常時外気(がいき)が流れるようにしました。

無事、報恩講が終わった時は夢のようで、一年が終わったような開放感がありました。

 

コロナ禍に振り回された昨年、母が生前、何度か話していたことを思い出しました。

女学校へ通っていた頃で、昭和10年代前半のことです。

うちと親しいお付き合いのある井口の光(こう)徳寺(とくじ)に、母と同じ津沢(つざわ)女学校へ通っている同級生の一人娘がいました。その同級生が肺結核になり自宅療養していました。

結核は空気感染する感染症で、当時は不治の病とされていました。

 

そこで、母は同じ女学校の同級生フミちゃんと二人でお見舞いに行くことにしました。

その際、フミちゃんの両親は心配して、

「お見舞いにいっても、あまり近づいたらあかんぞ。長くおらんと(長居しないで)すぐに帰って来られ。」

と忠告しました。これは、今のコロナ対策でいうと、濃厚接触(1m以内,15分以上)を避(さ)

けろという事なのでしょう。

ところが、母の父親つまり僕の祖父の重共正念(しょうねん)は母にこう言って送り出したそうです。

「病床の友達のそばへ行ってちゃんと話せんなあかんぞ(しないとだめだぞ)。目の前で咳(せき)をされても、絶対に横を向いたり嫌な顔をしたらあかんぞ。すぐに帰ってこんと(帰ってこないで)、しばらくおられや。」

 それを聞いて母はちょっと不安になったけれども、厳格な父の言いつけは絶対なので、その通りにしたと言っていました。

 しばらくして、病床の同級生は亡くなったそうです。

 

祖父の言葉は、コロナ禍に見舞われた現代では全く逆行して通用しないと思います。

今ほど衛生学の発達していない過去の話だと思っていました。

 

ところが最近、肝心なことを聞き逃していたことに気づきました。

 祖父が本当に言いたかったことは、今まさに社会問題となっている、

「感染者に対して偏見(へんけん)を持つな、差別をするな。」

ということではなかったのかと思います。

「病床の友達のそばへ行ってちゃんと話せんなあかんぞ。目の前で咳をされても、絶対に横を向いたり嫌な顔をしたらあかんぞ。すぐに帰ってこんと、しばらくおられや。」  

 これは、ちょっとしたことで傷つきやすい患者さんの立場、弱者の立場に立たないと出てこない言葉だなと思いました。 

 

 以上、簡単ですがこれで新年のあいさつとさせていただきます。

 今年もどうぞよろしくお願い致します。

                               (浄円寺本堂にて)

 

 

「発願(ほつがん)回向(えこう)とは何ですか?」

 ある時、棟方志功が二俣(ふたまた)(金沢市二俣町。富山石川両県にまたがる山中にある)に板画(はんが)用の和紙を買いに行くことにした。

 そこで、三人の坊さんが御旧跡参りをしようと志功について来た。

 蓮如上人ゆかりの本泉寺(ほんせんじ)にお参りし、砂子坂(すなござか)の城端別院発祥地(はっしょうち)跡で弁当を食べていると、一人の老婆(ろうば)が鉢(はち)に山菜(さんさい)の漬物(つけもの)などを盛(も)って坂道を上ってきた。そして、

「自分は、長い間仏法を聞いてきたが、どうしてもわからないことが一つある。お坊さんが三人もこの山里にお越しになることは滅多(めった)にないことなので、よい機会だからそのことをはっきりさせたい。」

と言うのである。

 三人の坊さん達は自信満々(じしんまんまん)で、

「何でも聞きなさい。」

と言った。そこで老婆は尋ねた。

「発願回向とは何ですか?」

 それを聞いて、三人はたじろいでしまった。

 老婆は、言葉の辞書的な解説ではなく、阿弥陀如来の発願回向そのものを知りたいのである。とてもおいそれと答えられるものではない。

 三人は、とうとう譲(ゆず)り合いをはじめた。

 すると、それを見ていた棟方が草の上を転げまわって嘆(なげ)いた。

「何たる情けないことか。蓮如さまの御旧跡で砺波を代表する坊さん達が、そろいもそろってこんな肝心なことを聞かれてオロオロしているとは。」

 棟方はそう言うとガバッと起き上がり、

「不肖(ふしょう)、この棟方が答えさしてもらっていいですか?」

と言い出した。

 三人は、渡りに船とばかりにどうぞどうぞと勧(すす)めた。

 そこで棟方は老婆の手を取って言った。

「あんたが今問うたことが、発願回向ですよ。」

 それを聞いて老婆はしばらくポカンとしていたが、やがて目を輝かせ、

「どなた様か存じませんが、おかげで長年の胸のつかえがとれました。」

と頭を下げ、足取りも軽く坂道を下(くだ)っていった。

 

成行(なりゆ)きを見守っていた三人の坊さん達は、

「あの時は棟方に一本とられた。」

と、後々まで語り草にしたという。

                (高坂貫昭氏,太田利雄氏;口述 太田浩史氏;聞書き)

    ※発願回向…阿弥陀仏がわれわれを救おうという願いを発(おこ)し(発願)、そのための行(南無 

阿弥陀仏)を与えられること(回向)。

    ※本願力…阿弥陀仏のわれわれ衆生を救わずにはおられないという慈悲のはたらき。

この逸話(いつわ)をパソコンに打ち込んでいるうち、ある情景が瞼(まぶた)に浮かんで来た。

 四十代に入って得度(とくど)し、真宗の世界に足を踏み入れ始めた頃だった。

 東京練馬区にある真宗会館で行われた僧侶中心の聞法会でのこと。講師は厳しいので知られた和田稠(しげし)師だった。

 講義が終わり質疑応答に入った時、初心者ということもあり怖(こわ)いもの知らずだった僕はこんな質問をぶつけてみた。

「本願力(ほんがんりき)ってなんですか?」

 すると、和田先生は、

「素朴な質問だねえ。」

と言った後、

「真剣に学ぼうとする気があるのか!」

と一喝(いっかつ)されてしまった。でもその後に、

「あんた自身を、法話を聞くためにここまで足を運ばせてくれたのが、本願力なんだ。」

と付け加えてくれた。

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

第一部 大東医専物語

逸話

 教務主任で柔整理論担当の牧内(まきうち)先生を見た時、僕は祖父を思い出していた。

 僕の祖父は浄土真宗の布教使をやっていて、年の半分は説教の為あちこちのお寺に呼ばれていた。非常に厳しいところがあり、村の少年団の子供達からは怖がられながらも、

「ごぼさま、ごぼさま(御坊様)。」

と呼ばれ、慕(した)われていた。

 その祖父に牧内先生の雰囲気や語り口がよく似ているのだ。厳しさが生徒のため、柔整界のためを思ってのことだということは、クラスのみんなが感じていたと思う。

 授業の最後にされる体験談に『おち』がつくところなどは、落語を研究されたんじゃないかと思ったくらいだ。

「前日包帯を巻いた患者さんから、腕の状態が変だと急な連絡が入ったため、海水浴を途中で切り上げて車を飛ばして駆(か)け戻った。」

といった、手に汗握(あせにぎ)る話が多く、元K県警柔道師範の戸田さんがよく帰りの車中で、

「今日もいい話でしたね。」

と感想を述べていた。

 また、最後の授業で、

「将来、君たちが開業するとき、近くに接骨院があれば、『よろしくお願いします。』くらい挨拶に行かなければいけない。向こうはいい顔するはずはないし、イヤだろうけど、これは最低限の礼儀だ。」

と贈(おく)られた言葉が、現実を突きつけられたようで印象に残っている。

 

これは、後年(こうねん)故郷に戻って整骨院を開業した際に早速(さっそく)実行した。

 菓子箱と名刺を用意して、近くのI接骨院とMクリニックに挨拶に行った。行く前はちょっと緊張していたが、すんなり受け取ってくれたので肩の荷が下りた思いがした。

                                  (つづく)

                              [次号 1月23日]

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