top of page

19

              浄円寺コラム<19>    2020,12,26重共聡

インド紀行 1975春

大学三年の冬、高校時代の友人で学習院大生のFが中野区野方の僕の下宿に転がり込んできた。

 彼との縁は、高校入学時たまたま席が隣り同士だったことが始まりで、しかもお互いの家が寺という共通点があった。ただ、二人とも寺を継ぐ気はさらさらなく、彼は大学卒業後東芝に入社し、東京で見つからなかった僕は、故郷へ戻りアルミ工場に就職した。

 

話は大学三年の冬にもどる。ある日Fが言った。

「海外旅行に行きたいな。」

「そーやな。」

と言ったことから、話に熱がこもってきた。

「インドへ行きたい。」

と彼。

「そーやな。」

と僕。

 ということで、あれあれと言う間(ま)に三月の春休みを利用してインドへ行くことになった。二人にとっては初めての海外だった。

 

羽田空港からエア・インディアで香港、バンコクを経由して十時間かけカルカッタへ着いた時は真夜中になっていた。

 カルカッタは、市街地全体が糞尿の臭いに包まれていた。神聖な牛の野放しのせいかなと思った。

 翌朝ホテルから一歩踏み出すと、カルカッタの街は喧騒(けんそう)に包まれ、道路は車の洪水だった。空地(あきち)を見つけて背伸びをしたら、いきなりキュキューッとタクシーが目の前に止まった。慌てて右手を左右にパタつかせる日本式の合図を送ったら何とか通じたようで、そのまま去っていった。

初日からこんな調子では、先が思いやられるなと思った。

 

十六名の団体ツアーで、現役大学生三名、OL二名、新婚カップル、高校教師夫妻に、女性向け雑誌のモデルさんといった顔触(かおぶ)れだった。

 初めての外国で、目や耳に入るもの全てが新鮮で感動していた。

 インドは仏教発祥(はっしょう)の地でもあるので、何か崇高(すうこう)な心境になれるかもしれないと、ひそかに期待していた。

ところが、お釈迦様が初めて説法されたというサルナート遺跡(いせき)を訪れた時、それははかない期待であることが解(わか)った。

そこで目にしたものは、ボロをまとった子供達が遺跡のかけららしきものを手に、

「二十ドル、二十ドル。」

と言いながら、日本人観光客にまとわりつく姿だった。

 

聖なる川ガンジスの川べりでは、沐浴(もくよく)の人達のかたわらで、食器を洗ったり歯を磨いたりする人たちがいた。

 小舟に乗って遊覧(ゆうらん)していたら、不意にカラスの鳴き声とともに異臭が鼻腔をついた。それは、今まで経験したことのない強烈な臭いだった。

 反射的にその方を振り向くと、黒い物体がプカプカ浮いていてカラスがとまっていた。

物体の正体はすぐに解った。川ぶちで火葬して、焼け残った亡きがらをガンジス川に葬(ほうむ)

ったのだ。

 インドでは人が亡くなると、聖なるガンジス川へ還(かえ)ると言われている。が、想像していたのと現実とはかかなりかけ離れていた。

 

一番印象に残ったのは、インド女性だ。サリーというカラフルな民族衣装を身にまとい、眉間(みけん)に赤いビンディー(※)をつけて町を歩いていた。

 驚いたことに、見る人見る人顔立ちが整っていて美しいのだ。

 女性雑誌モデルのNさんが言った。

「私、世界中を回ったけど、一番美人の多い国はインドだわ。その次は、アフリカのマサイ族ね。」

 彼女の美の基準というのもちょっとあてにならない気がしたが、こちらでは、ホントに道ゆく人皆、美人なのだ。そして、年頃の女性にカメラを向けると、さっとサリーで顔をかくす、そのしぐさが何とも奥ゆかしく感じられた。

 ガンジス川が流れるベナレスで宝石店へ入った時、そこの店員の女性も女神(めがみ)さまみたいに神秘的な美しさをたたえていた。そこで、つい話しかけた。

“Why Indian girls are beautiful?(なぜインドの女性は美しいのですか?)”

すると彼女は、人差指でまず天をさし、次にその指を下に向けて行った。

“God made.(神様がお創(つく)りになったからよ。)”

 彼女のしぐさと言葉が美しさにマッチして、無理がなく、自然だった。

「なんて哲学的な答えなんだろう。」

 ターバン帽をかぶり、インド人になりきっていた自分は、ますますインドにのめり込んでいった。

 

デリーのホテルでの夕食時、バンドが生(なま)演奏をやっていた。

 学生三人で食後のお茶を飲んでいると、モデルのNさんがテーブルに近づいてきて言った。

「重共さん、踊らない?」

「僕、踊れないんで。」

 思いがけない誘いに、間髪入れず正直に答えたら、Nさんはすんなりと自分の席に戻っていった。

すると、そのやりとりを聞いていたツアーコンダクターのお姉さんに後から言われた。

「重共さん、女性に恥をかかせるものじゃないわよ。」

 

 インドの旅で印象に残った英単語が二つある。

 まず病気という意味のシック(sick)。

 ターバン帽をかぶっていると、至る所でインドの人達から言われた。

“you are sick.(あなたは病気です)”

そうだったのか。ターバンを巻いている人は、病気なのか。

ところが、友人のFは、

「Oh!マハラジャ(王様)!」

と呼ばれていた。

確かに、Fのターバンと僕のターバンは違っていた。Fの方は、アラビアンナイトに出てくる王様がかぶっているような、前に羽が一枚ついたお洒落(しゃれ)な造(つく)りだった。それに対して、自分のは一般庶民が巻いているありふれたものだった。

ただ、僕のタイプのターバンは病気の人が巻くものだとは知らなかった。

 

それともう一つ。

それは、ネパールのカトマンズでの出来事だった。

 デリーからプロペラ機でカトマンズへ行き、周囲を見渡した時、その景色にどこか懐(なつ)かしさを覚えた。周りが山に囲まれている、それは僕の生まれ育った故郷の地形によく似ているからだと気がついた。

 カトマンズでみんながオプショナルツアーのヒマラヤ遊覧(ゆうらん)飛行に行っている間、ホテルの前を散策していると、タクシーの運転手と思われる中年男性が話しかけてきた。

「イケニーヤ」

としきりに言っている。何のことか解らず黙っていると、次に英語で言ってきた。

「サクリファイス“sacrifice”」

 今度は聞き覚えのある言葉だった。

 サクリファイスというと、犠牲という意味があったな。それと…あっそうか!いけにえか!運ちゃんのいっていた『イケニーヤ』とは生贄(いけにえ)のことに違いない。

 ようやく意味が解(と)けた思いがした。生贄の儀式をやっているので、見に行こうと誘っているんだ。

 そして、翌朝五時に一人でホテル出口の待合せ場所へ行くと、昨日のタクシーの運ちゃんが待っていた。

 車は山あいを縫(ぬ)うようにどんどん上っていった。

 一時間くらい乗っただろうか。車から下りて運ちゃんの後(あと)をついて行くと、突然、

「ギャーギャー!」

という、赤ん坊のような鳴き声が耳に入ってきた。

 同時に視界にそれらしき人だかりが確認された。さらに近づくと、首のないヤギなどの家畜が地面に転がっていた。『生贄(いけにえ)とはこのことだったのか!』

 そこまでの記憶があまりに鮮烈だったためか、そのあとのことはどうしても思い出せない。

 ホテルへ戻って朝食をとり、出発するために表へ出た。すると僕を待っていたのか、先ほどの運ちゃんが来ていた。傍(かたわ)らには年頃の女の子がいて、

「マイ ドーター(私の娘です)。」

と紹介された。

 なんで自分の娘を連れてきたのか最初解らなかったが、しばらくしてその謎(なぞ)が解(と)けた。

ネパール女性にとって日本人と結婚するというのは、玉(たま)の輿(こし)なのかと思った。

 

 十日間かけて、カルカッタ、ガンジス川のベナレス、タージマハルのアグラ、ジャイプール、デリー、カトマンズと駆け足の旅だった。

 移動は全てプロベラ機だったと思う。どこの区間だったかは忘れたが、機内アナウンスにちょっと驚いた。

「この機のパイロットはガンジー首相の息子さんです。」

 インディラ・ガンジーの長男、つまり後にインドの首相になり、暗殺されることになるラジ―ヴ・ガンディーが操縦していたのだ。

 

 カトマンズからカルカッタへ戻り、バンコク、香港を経由して帰国した。

 帰国後しばらくして、『ターバンを巻いているのは病人』の意味が解けた。

 シック“sick”ではなくてシーク“Sikh”つまり、ターバンをしているのはシーク教徒だったのだ。

 帰国の翌年、ミュージシャンでもある東洋大生のA君は、一年間休学してシタールを習いにカルカッタで知り合ったインド人をつてに旅立っていった。

 奥さんと参加していた長野県の名門松本深(ふか)志(し)高校の先生は、撮(と)った写真をスライドにして、地元でインド旅行の講演会をやった。

 僕は、早速下宿近くにある青年館に足を運び、社交ダンス教室に入会した。

※ビンディー…インド女性の象徴になっている額の赤い丸いしるし。

                                         

黄門式プログラム

[実験]次のことばを一つずつ心のなかで唱えて、そのとき体に感じる感覚に耳を澄ませてください。

1)                                                     2)                                       3)

生きている                                      頭を下げる                        苦しみを避けられない

生かされている                               頭が下がる                        苦しみをいただく

 

 

4)                                                     5)                                       6)

自分の体は自分のもの                    この思いは我である          自分の思い通りになる命

自分の体はいただいたもの             この思いは汝(なんじ)である         与えられた命

 

 

7)                                                     8)                                       9)

この苦しい心は自分の心                地獄を恐れる                    自分は必ず救われる

この苦しい心は汝の心                    地獄を引き受ける             自分は絶対に救われない

 

 

10)                                                   11)                                     12)

人事を尽くして天命を待つ             頭で理解する                    貯(た)めこむ

天命に安んじて人事を尽くす         この身でうなずく             手離す

 

 

 いかがでしたか?

 十二項目あげた各項目の上段と下段の違い、わかりましたか?

 上段は一般的な思考の形であり、それに対して下段は真宗的な思考回路だといえます。

 これらの言葉によって体がどのように反応するのか、感じてみてください。

「あーなるほど!」

とうなずけた時、住み慣れた『千歳(せんざい)の暗室(あんしつ)』にはすでに智慧の光明が射し込んでいるはずです。

 ※千歳の暗室…たとえば千年もの間、一度も光の入ったことのない暗闇に閉ざされた部屋があって、

そこにわずかでも光が射し込めば、たちまち闇が破られて明るくなる。千年もの間、闇に閉ざされていたからといって闇がそこを立ち退(の)かないということはない。つまり迷いの闇は智慧の光明によってたちどころに破られる。

※『<連載企画>医療・介護の世界に足を踏み入れて』はお休みしました。                           

                               [次号 1月9日]

 

 

「なぜインドの女性は美しいの?」「神様がお創りになったからよ。」  

「オー マイフレンド!」                               カトマンズのタクシーの運ちゃん

  聖なる川ガンジスへ

 

bottom of page