真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<16> 2020,11,14 重共聡
明智ゼミナール日誌 (1)
1988冬
塾を始めて一年目、高校受験を目前に控えた中三女子クラスでのこと。
始業の礼をして着席すると、いつもはおとなしいY代がいきなり大きな声で言った。
「先生、Aさん好きですか?」
一瞬、教室全体が水を打ったようにシーンとなった。
僕はみんなの視線を五体に感じながら、どう答えたらいいのか焦(あせ)ってしまった。
当時三十代半ばで、彼女達とは年令の開きがかなりあったので、『好き』の意味が単に好き嫌いの相対的な意味なのか、男女の間でいうところの好きのことなのか、測(はか)りかねていた。
もちろん、やましいことは何もしていない。
Aの方をちらっと見ると、じっとうつむいている。
その時、思わず口をついて出た言葉が、
「だーい好き!」
だった。
教室の張(は)り詰(つ)めていた空気が、いっぺんに和(やわ)らいだ。
Aはホッとした表情をしている。
Y代も納得(なっとく)したのか、あとは何も言わなかった。
僕も胸をなでおろしていた。
実際、五~六秒の出来事だったが、五分にも十分にも感じられた。
Aのこころを傷つけずにすんだことが、何よりもうれしかった。
喫茶ブルボン 2010冬
最近読んだ本で心に残った一文があるので、ちょっと紹介させていただきたいと思います。
小松市に住んでいる方が書いたものなんですが、こういう内容です。
小松駅前のレンガ通りをしばらく行くと、喫茶ブルボンというお店があります。
そこのマスター大杉(おおすぎ)拓(たく)弥(や)さんは、生まれつき股(こ)関節(かんせつ)脱臼(だっきゅう)(※)の身体です。
しかし、それが縁で親鸞聖人の教えに出遇った方なのですが、たまたまコーヒーを飲みに行ったことから友達になり、今ではお店で歎異抄(たんにしょう)(※)を読むほど、深いつながりをいただいています。
私は大杉さんとの出遇いを通して、人が救われるということはどういうことかを感じさせてもらっています。
例(たと)えば大杉さんは、
「この身体のおかげで、自分が自由になれた。」
とよく言われるのですが、その理由を尋ねると、
「もし、悩んだり苦しんだりしなかったら、きっと今のような考えにならなかったと思う。この足があったから、人よりも生きる意味を問われ、道を求められたのだ。大きなはたらきの中にいることに気付いた時、私は新しい私になれたのだ。」
と言い切ります。また、
「今の時代は、豊か過ぎて不幸かもしれないと思うときがある。
せっかく虚(むな)しいと感じたり、自分の生き方はこれでいいのだろうかと思っても、ごまかすものがあまりにも多い。テレビのスイッチひとつで嫌なことを忘れ、道を求めるということになかなかならない。
その点、僕は歩くたびに激痛が走ったりして、自分の存在そのものを問わなければならなかった。人よりも生きる意味を考えなければならなかった。
そのおかげで、親鸞聖人の教えに出遇ったと思っている。」
「何(なん)にもつらいことに遇っていないってことは可哀想(かわいそう)だ。気がつく機会がないってことだから。」
など、その生きざまを通して語られる言葉は胸に響いてきます。
私は大杉さんを通して、人間にとって悩むということはいかに大切かを教えられます。つまり、悩むからこそ仏法に出遇えるのであり、悩むからこそ深く豊かに生きられると思うのです。
でも、よくよく考えてみれば、悩みや不安だけが、
『お前の生き方はこれでいいのか?』
と問い返す命の用(はた)らきなのではないでしょうか。
もし、不安も悩みもないならば、人間は傲慢(ごうまん)で思い上がった生き方になるに違いありません。悩みがあればこそ生きる意味をたずねることが始まるのでしょう。その意味で、悩みは救いの種だと思うのです。
できれば遇いたくない悩みや苦しみですが、本当に避(さ)けるような在(あ)り方では救われません。
大杉さんのような、深くて自由な生き方を賜(たまわ)ることこそ本当の救いだと思っています。
私は、そんな大杉さんに会いに、今日もブルボンに通っています。
という文です。
これを読んで、悩みや苦しみが自分で解決できたり、他のことで紛(まぎら)わせられる間は見向きもしなかった親鸞聖人の教えが、苦悩と向き合わざるを得ない状況に自分が置かれた時、初めて心に届いてくるのではないかと思いました。
日が経(た)つにつれ、本人に会ってみたいという思いが募(つの)ってきたので、先月中旬に祝日を利用して、小松へ訪ねていきました。その日は、気温が低く雪(ゆき)混(ま)じりの雨がしとしと降っていました。
喫茶ブルボンは近くに移転していて、『café蔵心』という名でやっていました。
午後一時過ぎに鉄(てつ)格子(ごうし)の扉を開けて店内へ入ると、カウンターに初老(しょろう)の男性が二人立っていました。
カウンターの席に座ろうとすると、
「ここは寒いので、奥の席へどうぞ。」
と言われ、それに従いました。昼食セットメニューの、パスタセットを頼んで、
『今日は股関節脱臼の本人は来ていないのか…。』
と内心がっかりしました。というのは、カウンター内の二人とも自分の想像していた人とは違って、口数の少ない普通の人に見えたからです。
パスタとサンドウィッチでお腹(なか)をこしらえた後、思いきってカウンターに残っている一人に聞いてみました。
本に載(の)っていた文を読んで感動したことを話し、
「今日はその方は来ておられますか?」
と尋ねると、
「奥の方で洗い物をしています。」
といわれたので、もう一人の方が本人だと解りました。
「お話を伺(うかが)ってもよろしいでしょうか?」
と、頼んでみると、
「二年前に病気をしてから、身体が弱っていて、もう話はしなくなったんですよ。」
と、丁寧(ていねい)に断(ことわ)られました。
残念だけど、無理は言えないと思い、即座(そくざ)に了(りょう)解(かい)して席に戻りました。
しばらくして、電車時間が近づいたのでレジへ行くと、本に載(の)っていた当人(とうにん)の大杉拓弥さんが、洗い物を終えて立っておられました。
代金を払って、
「ごちそうさまでした。」
と言うと、
「有難うございました。」
と返ってきました。
ただ、それだけの出遇(であ)いでした。
信心を獲(え)たのだから、何か特別な人だと思っていたら、外見(がいけん)は全く目立たない普通の人でした。
でも、大杉さんの表情に、柔和(にゅうわ)な中にも厳しい眼差(まなざ)しがあるのが見てとれました。
それは恐(おそ)らく、人生の風雪(ふうせつ)の中でもがき苦しんでいるさなかに、親鸞聖人の教えに出遇い、初めて心の安心(あんじん)を獲(え)たことによるものだろうと思いました。
※先天性股関節脱臼…骨の発育が順調に進まないことがあり、片足が短く、歩くとき痛みをともない、引きずってあるくようになる。
※歎異抄…弟子の唯円が親鸞から直接聞いた言葉を書き留めた書。
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
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大東医専物語
教師の条件
三十三才で上京して間もなく学習塾を始めようと思いたち、参考のために一年間他の塾を見て回った。
最初勤めたE進学教室は、指導法に非常に厳しい職場で、発声一つにも細かい指導があった。
それは、①気迫のこもった声。②声の質の二つだった。
一番目の条件に最もかなっているのは、関係法規の前田先生だ。オペラ歌手のような体格から繰り出される声量(せいりょう)は、マイクなど全く必要としない。
ある日、例によって遅刻した自分が、学校の駐車場前の道を急いでいると、なんと五階の階段教室の窓から前田先生の声が降(ふ)ってきたのだ。
まさかと思って立ち止まって耳を澄ましたが、やはり間違いなかった。
僕はもともと理科系タイプの人間で、法律という言葉を耳にするだけで拒否反応を示してしまうのだが、前田先生の授業は例外で、時間のたつのも忘れて聞き入っていた。
声の質(しつ)からいうと、やはり柔整理論担当で大東医専の先輩にあたる西山先生だろう。声に艶(つや)と張りがあり、話し出されると教室全体に明るさと適度な緊張感がみなぎってくる。
僕は塾を五年間やっていたが、西山先生のような張りのある声で授業をしていたら、塾はもっと続いていたかもしれない。
先生から『ワシ(鷲)が尺とりゃ…』の語呂合(ごろあ)わせを教わった尺(しゃっ)骨(こつ)神経麻痺の患者さんを勤め先の病院で初めて見た時、患者さんに悪いとは思ったが、患手(かんしゅ)が委(い)縮(しゅく)していてホントに鷲(わし)の爪(つめ)のようだなと、思わず手を取って見とれてしまった。
兄貴
この学校はOBの先生方が多いが、兄貴のような感じで接してくれたのは、高橋先生と中村先生だ。
三十才過ぎの事務の高橋先生は、僕より若いけれど、やはり兄貴のような気がした。ただ、周りに気を遣(つか)いすぎのようにも見えたが、そこがまた高橋先生のいい所でもあるのだ。
柔整実技担当の中村先生には、僕が柔道で左手小指を突き指してマレット・フィンガー(※)になった時、授業の後や休憩時間にいろいろアドバイスしてもらった。
実際の症例を見ながらの指導なので、これは身についた。授業中もリラックスして受けられたのはよかった。
※…マレット・フィンガー…突き指などによる剥離骨折や、腱の断裂により指先の関節が曲がったままで、自分の力では伸ばせなくなった状態。
(つづく)
[次号 11月28日]