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              浄円寺コラム<15>     2020,10,31重共聡

光陰水のごとし 2020秋       

「ピーポーン。」

 やさしいピンポンだったので、誰か知り合いの人かなと思った。

「はーい!」

と言うと、

「新聞の集金でーす。」

と返ってきた。それを聞いて、『ああ、今日は月初めだな。』と気が付いた。

「ついこの間、お会いしたばかりだと思っていたら、『光陰(こういん)矢のごとし』ですね。」

と言うと、彼は一応頷(うなず)きを与えて、

「『光陰水のごとし』という言葉もあります。」

と返してきた。

「えっ!初めて聞きました。」

と驚くと、

「『矢のごとし』は時が早く過ぎていくという意味ですが、『水のごとし』は『覆水(ふくすい)盆(ぼん)に返(かえ)らず』と似た意味で、過ぎた時間は元に戻らないという意味ですよ。」

と言われ、

「なるほど、意味を知ると頷(うなず)けます。」

と応じた。

 ネットで調べてみたら、『水のごとし』には、

『光陰流水(りゅうすい)のごとし』と『光陰逝(せい)水(すい)のごとし』があり、意味は『矢のごとし』とイコールになっていた。

 集金マンの説明の方が説得力(せっとくりょく)があるなと思った。

 

 集金の時、目から鱗(うろこ)のうんちくを耳にするたび、普通の新聞集金人に見えるこの男性は一体何者?と思わせられる。

 毎回十分程度の何気ない会話なのだが、月一回の自分のひそかな楽しみでもある。

 

            

くもの糸 2009夏

 先月末、五箇(ごか)山荘(さんそう)で、五箇山、城端、福光のお寺の住職の集まりがありました。その席で、是安(これやす)の浄国寺の住職が言いました。

「重共さん、あんたとこ夏休みに子供達に毎日正信偈(しょうしんげ)教えているそうやね。」

「はい。これは、うちのおじいちゃんの頃からの伝統になっています。」

と答えると、

「よく毎日出来るねー。一体どんなふうに教えているの?」

と、驚いていました。是安の浄国寺では、夏休みに入って週二回のペースで小学生に正信偈の稽古をやっているとのことでした。

 西明は、月曜から金曜まで週五日やっていて、自分自身、何とか楽しくやろうと、あの手この手を使い子供たちにアプローチしているのですが、盛り上がっているのは自分だけのことが多く、後から疲労がドッと出たりします。

 それで、今年のお地蔵さま祭りは、正信偈のあとに紙芝居をやることにしました。題材は芥川龍之介の名作『くもの糸』です。

 この話は皆さんもご存じだと思いますが、

「ある日、極楽を散歩していたお釈迦さまが、蓮池(はすいけ)の蓮の間から地獄を覗(のぞ)くと、一人の男が血の海で苦しんでいました。

 そこで、その男の過去を見てみると、ただ一つよいことをしていました。それは、蜘蛛(くも)を踏みつけようとして、思いとどまって助けてやったことがあったのです。それで、お釈迦さまは、

『そういうよいことをした男なら助けてやろう。』

と思い、蜘蛛の糸を極楽から地獄へ垂らしてやった。」

というのが出だしです。

 

お地蔵さま祭りで、その紙芝居をしてから、一週間ほどたった頃、月忌参りに行った家で、その紙芝居を見た小学生が、飛んできた羽虫(はむし)をつぶそうとしていたので、とっさに言いました。

「小さな生き物を殺したらだめだよ。」

すると、それを聞いた子供が反論を始めました。

「大人だって生き物殺しとるやんけー。」

「豚(ぶた)を殺して、食べとるやないかー。」

 それに対して取りあえず頷(うなず)いてから、お経を読み始めました。

読みながら、

『親鸞聖人の教えに照らすと、どんな答え方をすればいいのだろう?』

と、そのことばかり頭の中を駆(か)け巡(めぐ)っていました。

 そして、自分なりにある結論に達したので、お勤めを終えロウソクの火を消した後、その子供に言いました。

 すると、

「わかんないや。」

と言われてしまいまいました。

 ただ、この答えでいいのか確信が持てなかったので、早速上京してお師匠さま(櫟(いちい)暁

師)に尋ねてみました。

 すると、

「あなたは、どう答えたのですか?」

と、聞かれたので、

「人間は他の生き物の命を奪わないと生きていけない矛盾した存在で、そんな浅ましい自分を知らされることが、親鸞聖人の教えだというふうに言ったんですが。」

と言うと、お師匠さまは、

「だいたいにおいては、そうです。」

「罪悪ということには、いろいろあります。一番大きな罪というのは、本願を疑うということです。法謗(ほうぼう)、つまり法を謗(そし)るということ、これが一番大きな罪です。

 次が、五(ご)逆(ぎゃく)ということですね。

父母を殺すとか、阿羅漢(あらかん)を傷つけるとか、あるいは、釈尊の身から血を流すという五逆ということがあるでしょ。五逆もいろいろありますけれども、仏法の聖典(せいてん)の中に説かれております。   

また、他の動物の命を取って生きておるということは、きわめて罪深いことです。ですから、そのことを、自覚させていただくことが大事なことです。

何でも害虫は踏み殺していいんだというような考え方はしてはいけませんということを、子供に対して言わなきゃならん。

だけど、蚊(か)に蚊取り線香を使い、ゴキブリを踏みつぶしていますわね。

 

それと、我々、罪の深いものはもう一つあるんですね。

自分は知らん顔していて、人に殺させて、知らん顔して食べているところに、もう一つ罪の深いところがある。こう私は思います。

 それで、その自覚ということが大事なことでしょ。

それを子供にわかるようにどう言ったらいいか。あなたもよく考えてみてください。」

 

そう言われました。

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

  • 大東医専物語

生理学の藤田先生

 筑波大の藤田先生のデビューは、一年次の医技祭(文化祭)の時で、筋肉の働きについての講演だった。

 内容は目から鱗(うろこ)のところがある反面、ついて行けなくなると眠気が襲(おそ)ってきて、翌年から二学年になる自分達の生理学の授業を受け持たれるかもしれないと聞いた時は、一抹(いちまつ)の不安がないでもなかった。

 レベルの高い授業は、やはり読経に聞こえた若い連中もいたようだ。が、僕自身にとっては関心のあるテーマが多く、それについて最新の情報を提供してもらえるのは有難かった。

 蛙(かえる)の実験で、切り取った一本の後足に電流を流すと、まるで生命が吹き込まれたようにピクンと動くのには、目を見張った。人間が何か考える時、脳の神経線維を電気信号が瞬時に流れる模様をテレビで見たことがあるが、活動の源(みなもと)は電流だということをあらためて認識させられた。

 講義はまさに真剣勝負で、藤田先生はこの学問が好きなんだなあということが、ひしひしと伝わってくる。

 小島先生もそうだが、とにかく、手抜きせずに教えてもらえるのが嬉(うれ)しかった。

 

病(びょう)理学(りがく)の野坂(のざか)先生

「うちの孫がねぇ。」

といった切り出しで授業が始まる。

 五分ほど身近な話をして、みんなの気持ちをほぐしてから本題に入るのが、野坂先生のいつものパターンだ。先生のもつ温かい人間味が授業の随所(ずいしょ)に現(あらわ)れ、口数(くちかず)の少ない十九才の木村君でさえ、

「野坂先生の授業は楽しいですね。」

と言うくらい、若い連中にも受けがよかった。

 印象に残っているのは、肉まんと筋肉(きんにく)マンの話で、

「肉腫(にくしゅ)と筋肉腫は、肉まんと筋肉マンほど違うんだよ。」

と言われたのは、頭にはっきりとインプットされている。

 この話を渋谷にある花田学園の友達に話したら、また受けていた。

                                  (つづく)

                             [次号 11月14日]

              

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