真宗大谷派 浄円寺
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私の宗教遍歴<4-②>
孔雀明王2004春
それから十四年経った2004年4月下旬のこと。
上野の国立博物館に空海展が来ているという情報を耳にして、早速太極拳仲間のOさんを誘って足を運んだ。
僕は、高野山での体験を思い出し、久しぶりにワクワクしていた。宣伝効果もあって館内は入場者で混み合っていた。
そして、仏像が陳列してあるフロアーまで来た。
そこには、美術の教科書でおなじみの仏師の作も何体か並んでいた。僕は、一体一体正面に立って、自分の体に何か変化が起らないか確認していった。
一応、横に反(そ)ったり前に引っ張られたりという反応はあったものの、あの時ほどの決定的なものはまだ得られない。
そこで、前に立っている見物客が障害になるのかと思い、順番に並んで最前列まで出てから仏像と向き合ってみた。でも、特にこれといった変化は訪れない。
次に、
「これは、仏像と自分との適正な間合い(距離)が関係あるのかもしれない。」
と思い、ためしに仏像との距離がしっくりいく位置に立ってみることにした。
そして、真言宗の本尊大日如来(だいにちにょらい)の前に来た時だ。
それまでは、どちらかというと前方に吸引される形で反応していたのが、その時はククククッと後ろへ押されたように体が動いた。方向は逆で、強さも明らかに違っていた。
もう一度同じ間合いに身を置いて、大日如来と向き合ってみることにした。
そして、何も考えないようにして体内に耳を傾けた。というのは、自分で自分の動きを作り出す場合があるからだ。
自分の思いを極力排除して、純粋に仏像から出るはたらきを感じる態勢に入った。
その途端、腰砕けになり、尻もちをつきそうになって、やっとのことで踏みとどまった。
「これこれ!この感じだ!」
心の中で喝采(かっさい)しながら、何度もその反応を確かめた。
幸いその辺りは人影がまばらで、奇異(きい)な目を向ける入場者は一人もいなかった。
ただ、押されるというよりも、腰のベルトに紐(ひも)を掛けて強く後方へ引っ張られているようにも感じたので、何気なく後ろを振り向いた。
その瞬間、思わずギョッとなった。
そこには、名工快慶作(かいけいさく)の孔雀(くじゃく)にまたがった孔雀明王(みょうおう)が、背後からじっとこちらを見つめていたからだ。
それで自分に作用したはたらきの正体がはっきりした。
大日如来の押す力と、孔雀明王の引っ張る力が相乗的(そうじょうてき)にはたらいたのだ。
久しぶりに興奮して、一緒に来ていたOさんを呼んで同じ場所に立ってもらった。
感想を尋ねると、
「あんたみたいには感じないな。気迫は感じるけど。」
と、申し訳なさそうな返事が返ってきた。
それを聞いて、子供のように得意げになっている驕慢(きょうまん)心(しん)いっぱいの自分に気がつき、あーぁまだまだ修行が足りないなと反省した。
※驕慢心…自分だけが偉いと思い、他人を見下して勝手なことをする心。
生きた話<その五>
そうすると今度は、
「その次にどう思うたら楽になるのかな。」
こういうことを考えずにはおられん。言いとうないのに言うたんじゃが、おじいの奴がものを言わんけん、
「もう言うちゃるまい。」
と。
ありゃ、こりゃ妙な根性じゃのう。おのれが言われずに通られんけん言うたのに。それに向こうの態度によって、
「もう言うちゃるかい。」
(と思って)いよいよ悪性(あくしょう)の塊(かたまり)がここにある。
その悪性のことを自力というんじゃけん。それならそれで通れるかというと、黙って通っちゃろうと思って、今度はおばあさんの時にな、もう言うちゃるか思うて、そこ(おばあさんの近く)まで来たら、
「言わなんだら、あのおばあさん、人にどこそこの子供がのう、ものを言うことを知らん、挨拶も知らんもんじゃのう。」
いうて言いやすまいかいうて、言いもせんうちから不安になって、しかたなしに、
「お早うございます。」
と言って通る。
そしたらまた返事をせん。
それでまた、気持ちが右往左往して迷うのよ。
そうした結果がどこへ出てきたかというと、そりゃワシがワシをごまかしよることじゃがの。ごまかしとは、あとで悪う言われとうないけん、言うといて通ろうかい、とウソを言いよるねん(自分をごまかす)。
さあて、ここは一つはっきりしとかなあかんぞ。
ワシの中で今度は、
「言われてもいいじゃないか。」
という声がする。
「ありゃ学級委員の子じゃのう。」
いうて言われても、それが腹が立たんようにならんにゃ一生涯ワシャ(私は)この心に苦しめられるぞ。
そういう考えがあとから出てくる。
「あいつはものも言わん奴じゃのう。」
と言われたときに、それで腹立っちゃつまらん。
「ものを言わん奴じゃ。」
こう言われたら、口に出さずに、
「そういうワシでございます。」
と素直に受け入れる心にならんにゃ、ワシャ助からんぞ。
こういうように転じてくるのね。
(つづく)
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第四部 開業
僕は手袋を外し、Tさんの左側、つまり患側(負傷した側)に両膝をついて、左上腕(※)を両手で把握(はあく)した。
そして、Kさん宅へ向かう車中で考えていたやり方を試みることにした。
コッヘル法といって、教科書的にはこれが一番よく知られていて、専門学校の実技審査ではこのやり方でパスしていた。
まず、実技審査でやった通り、長軸(ちょうじく)方向(※)へ牽引(けんいん)してみた。
理論的にはこれでうまくいくはずなのだが、牽引した左肘が、あぐらをかいたTさんの左膝にぶつかってそれ以上引っ張ることが出来ない。
冷暖房完備の教室で、患者役が椅子に腰かけた万全の態勢で臨(のぞ)む実習のような訳(わけ)にはいかなかった。
二、三度試みたが、その度に途中で痛みが増して頓挫(とんざ)するということの繰(く)り返しだった。
そのうちTさんは、自分で整復した時のやり方を思い出して試み始めた。
僕はそれを祈る思いで見つめていた。
「自分のメンツは潰(つぶ)れるけれど、Tさん自身の手でもいいからうまくいきますように…。」
だが、これも結局失敗に終わった。
※上腕;肩から肘までの部分。
※長軸方向;この場合、肩から肘へかけての方向。
そこで今度は、勤めていた整形外科で教わった方法をやってみようと思い、自分の左足の長靴を脱いで準備に入った。
次に、足場の悪い屋根の上で患者さんに仰(あお)向(む)けになってもらわないといけないのだが、その体勢はTさんにとってかなりの痛みを伴(ともな)うようだ。
それを見て、絶対にうまくいくという確信も自分には持てなかったので、すぐにそのやり方を断念することにした。
そのうち、Tさんの脱臼している左腕がブルブル小刻(こきざ)みに震(ふる)え始めた。
それを見て、こちらも気持の余裕がなくなってきた。
「屋根から下りることが出来れば、病院へ移送するという手もあるのだが…。
こうなったら、もうハシゴ車の出動を要請した方がいいかもしれない。
でも、そしたら僕が脱臼を治せなかったという噂(うわさ)はたちどころに、この西明(さいみょう)地区一帯に広まることは間違いない。
じゃあ、隣の地区で接骨院を開業している中学時代の同級生に連絡とって来てもろらおうか。彼なら親の代からこの仕事に就(つ)いているので、うまくやってくれるだろう。
ただ、そんなことしたら、自分はメンツ丸潰(まるつぶ)れになってしまう…。」
その時、専門学校時代、教務主任だった牧内先生の言葉がフッと脳裏に浮かんだ。
「柔道整復師というのは、整復をやってもいいと公(おおやけ)に認められている資格なんだから、せっかくのチャンスを利用しない手はないよ。」
その言葉が、弱気になっていた気持ちを再び立て直してくれた。
一流企業の研究員だったTさんも、こうやったらいいんじゃないかとアドバイスしてくれたので抵抗なくやれたが、何度やってもうまくいかない。
もはや、打つ手なしだ。
(つづく)
[次号 12月10日]