真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<11> 2020,9,5重共聡
吉岡さん 1975夏
「こんなこと言って、変に思われるかもしれませんが。」
吉岡さんは前置きした。
「ジージージー」
庭の檜(ひのき)からセミの声が降っていた。
「最近やっと、目が見えなくなってよかったと思えるようになりました。」
吉岡さんは、僕の故郷である富山県東砺波郡城端町(じょうはなまち)西明(さいみょう)に生まれ、そこで青少年期を過ごした後、静岡へ移られた。
二十代の終わりに、ある病気が原因で失明した。
失明してからも時々、静岡から奥さんとともにうちのお寺へ訪ねて見えた。
たまたま、大学の夏休みを利用して東京から帰省した僕が会った時は、失明して十数年が経っていた。
実際話してみると、サングラスの奧の視線がピタッと合っているような気がして、目が見えないなんてとても思えない。寝転がって聞いていても分からないと思うのだが、こちらの心が見透かされそうで、いい加減な姿勢はとれなくなってしまう。
「目が見えなくなって、逆に、話している相手の心の中がみえるようになりました。」
とも言われた。
吉岡さんは、仏教のことで解らないことがあると、夜討ち朝駆け、時間関係なしに静岡から、お手(て)次(つぎ)である井口村の真光寺(しんこうじ)の当時の住職に電話して尋ねていたという。
目が見えなくて良いはずがない。自分に対する諦(あきら)めかなと、その時は自分なりに解釈していた。
それから十七年後、僕は新宿中央公園に隣接するマンションの一室にある『アシュラム・ノヴァ』という健康法の教室に通っていた。
ある日そこへ、生まれつき視力のない、といっても明暗は感じるらしいが、二十代の女の子が入って来た。
その彼女の口から出た言葉はショックだった。と同時に十七年前のあの光景がまぶたに浮かんできた。
「私、今まで二回手術するチャンスがあったんです。
かなり高い確率で、見えるようになると言われたんですけど、二回とも断(ことわ)りました。見るのが怖いんです。今の状態がとても気に入っているの。だから、今までと全く違
った世界を、別に知りたくないんです。」
よみがえった声 1992 ②
Q「仏教は、殆(ほと)んどが年寄りというか、年配の人達を対象にしていますね。
若い人にこっち向かせるというのは、どんなもんですか?」
A「それは、あんた腹立てられんぞ。
腹立てられんねども、仏教からいうと、それは年寄り(だけ)を対象にしとるわけじ
ゃないが(ないんです)。
若いもん(者)も、子供もみんな対象にしとれども、若い衆が寄って来んがやね。(笑)
それで、今あんたの言わっしゃる(言われる)意味から言うたさいな(言うと)、若い
もん(若者)がくっつくような、若いもんが納得できるような話の仕方がないか、若い
もんを惹(ひ)きつけるような話の進め方がないかと、言わっしゃる(言われる)のがあんた
の問い(質問)であります。
(私に言わせると)それは、(あんたらの)努力が足らんがです。
昔は、テレビもなけりゃ、ラジオもなけりゃ、ごぼ(お寺)へ参って来るわ。というのが、こっで(これで)一番楽しみであったかもしれん。
ところが、今は、テレビだとか何とかだとか、面白いもんがでかいとあるもんじゃさかいで(たくさんあるので)、なかなか宗教というもんに向こう(目を向ける)ということなかなか出来んかもしれん。
あんたがた皆、相当の教育を受けていらっしゃる。
ところが、尋常小学校の教育は私らなもんな(私どもは)いい加減なもんでした。そのいい加減の四年の義務教育を終えたジージとバーバ(祖父さんと祖母さん)が有難く分かってくれる話をやね、おそらくは相当の教育を受けたあんた方が参って分からんということはないはずやと思えども。(笑)
昔の人は分からにゃ分かるまで参ろうという努力があったもんじゃ。
分からねば、分かるまで参る。(ところが)この頃の若い人は、大抵は(一度)聞いて分からんだら(分からなかったら)、
『こんな分からんもんおけ(こんな分からないものは止(や)めた)。』
ちゅて(と言って)(笑)曖昧(あいまい)のまますんでしまうので(止(や)めてしまうから)、分からんがで(分からないので)、分からなんだら(分からなかったら)分かるまでまた聞き直す。そうすりゃ、分かるに決まっとるがじゃ。
(つづく)
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
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大東医専物語
解剖実習
医療の仕事につきたいと、夜間、専門学校に通い始めて二年経つが、まさかこういう機会が訪れるとは思ってもみなかった。
N大医学部の地下にある解剖実習室の前で待機している時は、不安と緊張の入り混じった何とも言えない気持ちだった。
扉が開かれ、ホルマリン臭(しゅう)の立ち込める中へ入って行き、いくつかあるテーブル上に置かれたのが本物の人体各部だと気がつくまでに、少し時間がかかったが、その瞬間、思わず息をのんだ。
でも、二年間に受けた教育の影響力というのはたいしたもので、感傷的(かんしょうてき)な気持ちになったのは最初だけ、後(あと)は解剖学の教材として観察していた。
記憶の中から筋、腱、靱帯、神経などの名称を取り出しては、目の前にある実物と一つひとつ照らし合わせるという作業を繰り返した。
前腕の内部を茅葺(かやぶ)き屋根のように走る筋(きん)腱群(けんぐん)や、電気コードが多数たれ下がったみたいな、馬(ば)尾(び)と名付けられた脊髄(せきずい)神経が印象的だった。よくこれだけ複雑に造られているなと、人体内部の構造に感心した。
「献体(けんたい)してくれた人達の志を汚すようなことは絶対に口にしないように。」
一分間の黙(もく)とうの後(のち)、こう注意を受けて解剖実習は終わった。
その後日がたつにつれ、今度は、
『生きている人体の場合はどうなっているのか、この目で見てみたい。』
という気持ちが強くなっていった。
幸運にも二カ月位たった頃、外科学概論担当で整形外科病院をやっている北村先生のご厚意で、手術の見学をさせてもらうことにした。
パンツ一丁(いっちょう)になって、淡いブルーの制服とキャップ、マスクを身につけた。
「雑菌(ざっきん)がつくから、絶対に手術室内の器具や人に触れてはダメ!じゃまにならない所に立っていなさい。」
と、大東の先輩でもある黒川先生から注意を受け、おまけに、
「ビックリして卒倒(そっとう)しないように。」
と、脅(おど)かされて入室した。
まず、全身麻酔。
手術台の枕もとに座っていた麻酔科の大学教授が立ち上がり、点滴から麻酔薬を入れ始めると、それまで陽気に口を動かしていた患者があっという間に眠りに落ちてしまった。そして、人工呼吸のために気管内にチューブを挿入する。
慣れた手つきでそこまで終えると、何事もなかったかのように、その先生は椅子にどっかと腰を下ろした。
膝関節の中へ小型カメラを挿入し、テレビモニターを見ながら行う関節鏡手術、下腿骨の多発骨折の整復手術、そして一番印象深かったのは、大腿骨の人工(じんこう)骨頭(こっとう)置換術(ちかんじゅつ)だ。
他の手術より広範囲(こうはんい)に皮膚を消毒し、大腿部にスーッとメスを入れると、かなり深く入ったところで、大腿骨が顔を出した。
途中で北村先生が手術をストップし、隅(すみ)で小さくなっている僕を呼んだ。
雑菌(ざっきん)がつくので他のものに体が触れない様に、おずおずと近づいていくと、先生は奥に見える白い線状のものを指して、
「これが坐骨(ざこつ)神経(しんけい)。わかった?」
と言い、僕がうなずくと再び手術が続行された。
坐骨神経は、想像していたものよりも太く、幅が三センチ位に見えた。
この手術は一度ビデオで見たことがあるのだが、その時の印象よりも実際ははるかにスムーズに進行していった。
見るもの聞くもの全てが、自分にとって新鮮な体験だった。
それにしても、麻酔状態にある患者の、すべてを任せきった様なやすらぎの表情を見ていると、こちらまで和(なご)やかな気分になってくる。
これは、インフォームド・コンセント(※)を通して、医者と患者の間にラポール(※)が出来ているからだろう。
また、皮膚のゴムのような弾力性と皮下脂肪のピチピチとした白さは、新しい発見だった。
立って見ていただけなのに、神経をかなり磨(す)り減(へ)らしたようだ。
病院の玄関ドアから一歩外へ出た途端、ひんやりした外気が肌に触れ、それと同時にそれまでの緊張感から解放されていった。
うす暗がりの中を足早に通り過ぎて行く人達が、いつもと違ったものに見えてきた。
※インフォームド・コンセント…患者が、医療従事者から診療の目的・内容について十分に説明を受けて疑問を解消し、納得したうえで診療を受けることに同意すること。
※ラポール…互いに親しい感情が通い合う状態、信頼関係。
(つづく)
[次号9月19日]