真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<77> 2023,3,18重共聡
歌を忘れたカナリン 2021春
台湾人の邱先生が常々言っていた。
「日本は、お彼岸やお盆にお墓参りに行くといういい風習があるね。」
今年もお彼岸にお墓参りをした。
前日にお花とロウソクを立てておき、翌日線香をたてて嘆仏偈(たんぶつげ)をあげる予定だった。
ところが、お昼ごろ山際(やまぎわ)にある西明墓地へ車で行くと、昨日立てたはずのロウソクが一つ残らずなくなっていた。
「こんなもの持って行ってどうするんだろう?」
と思った。
でも気を取り直して、ロウソクを立て替(か)えてお参りを始めた。ちょっと風があり、火をつけるのに苦労したが、まず、入口にある今は空き家になっている吉岡さんのお墓にお参りした。毎年お盆が近づくと、京都から親戚の人がみえるのだが、今年もコロナで無理だろう。
次に、明治・大正期に浄円寺の住職をしていた三浦家のお墓へ足を運んだ。
「三浦家最後の住職の息子さんの奥さんも一昨年亡くなったが、やはりコロナで昨年は一周忌が出来なかったな…。」
そんなことを思いながら、ロウソクと線香に火をつけ、お参りしようと印(いん)金(きん)(手に持って使う携帯用リン)をバッグから取り出した。
ところがその弾(はず)みにコンクリートの路面に落としてしまった。
すぐに拾(ひろ)って赤本(あかほん)(※)を開き、声明(しょうみょう)を始めようと金属のリン棒でリンを打った。
「カチン」
「?」
もう一度打った。
「カチン」
「??」
あの、
「リーン!」
という心地よい響きは影も形もなくなっている。
印金を組み立てている部品が外(はず)れたのかなと思い、落ちた辺りを探してみたが、何も見当(みあ)たらなかった。
家で分解していろいろ試みたが、あの音色は戻らないままだった。
そこで、インターネットで原因を調べてみることにした。すると、
「これだ!」
と思う記述があった。
ヒビ割れだ。
コンクリの路面にぶつかった箇所をよく見てみると、リンの縁(ふち)に髪の毛よりもはるかに細い線が目に入った。
「まさか金属が…」
でも、これしかないと思った。
復元(ふくげん)出来ないとあったので、祖父が使っていた印金の音色がもう聞けなくなってしまった寂しさと、そうしてしまった自分の責任を痛感した。
ただそのか細(ぼそ)く切(せつ)ない響きは、映画「稲塚権次郎物語」の野焼きのシーンにしっかりと残されている。
お彼岸参りの数日後、お墓へ行ってみたら燃え残ったロウソクが再び跡形(あとかた)もなく消えていた。
「これは、動物かカラスだな。」
「そんなにお腹(なか)が空(す)いていたのか。」
※赤本…真宗大谷派勤行集(ごんぎょうしゅう)
救われるとは
ええ顔をしとってじゃが、ちいと気に入らんことでもあると、なかなか手に負(お)えん心が出るような顔をしとるぞ。
「どうして出るんじゃろうか?どうしてそういう心が出るんじゃろうか。」
考えてごらんになったことがありますか?
今、あんたら腹立つ心がなくても、自分の気に入らんことがわずかでも出来たら、妙な心がそこに起ってくる。
「何がゆえにそういう心が起きるんじゃろうかのう?」
と考えてみる人は助かるのです。
ただ、そういうように考える力が人間にはないのじゃが、どうして助かるかいうたら、
仏様の教えをいただくと、
「何ゆえにこのような恐ろしい心が起るんだろう?」
いうことを仏様は考えさせてくださる。
そうして、その恐ろしい心が出てくるタネ、つまりこうゆう訳で恐ろしい心が出るんやということが仏様によって解ると、今度はこういう考えでいけという智慧がそこへ現れてくださる。
その仏様の仰(おお)せられることを、自分が信じたら救われるんであります。
「こういう心で生きていけゆうことなんじゃのう。」
いうことが自分に解ったら、信じられたらその仏様のおおせのままにゆく人間にならしてくださるから、我々のすべての人間の不幸ということが、そこで解決がつくという…ね。
そうせんにゃ解決がつくということはありません。
今までの心の生き方と、仏様によって解らせられた心の生き方ゆうものは違ってくるの。違ってくるゆうことが、それが救われるということ。
そして、それを今度は一心一向に進んでいく心を与えなさる。
一心一向に行けば行くほど、どんどんどんどん、例えを言うたら扇を広げるように自分の前途が明るくなる。前途が広くなってくる。
それは仏様のお力によるのよ。どんな仏様の力によるのかいうたら、仏様の智慧の力によるのじゃ。
そう私は解らせられました。
(藤解照海師 1986冬 広島法林寺にて)
<連載企画>
太極の世界に足を踏み入れて
第一部 青春編
異質(いしつ)な動き
「富山で太極拳を広めてください。」
昭和五十二年三月、日本太極拳協会(当時)の理事長だった三浦英夫先生に言われ、
「ハイッ!」
と返事はしたものの、そういうつもりはまったくなく、一人で続けられればいいくらいに思っていた。
太極拳を初めて見たのは、その二年ほど前のこと。場所は東京北の丸公園にある日本武道館だった。
中国少年武術団の公演があり、僕は拳法をやっていた関係で、場外の警備に駆り出された。警備の合い間にドアの隙間(すきま)から見る表演の、目にも止まらぬスピードに度肝(どぎも)を抜かれていた。
そんな中でただ一つ異質な動きをしていたのが、太極拳だった。
宇宙遊泳のような動きに何か神秘的なものを感じ、当時腰痛が悩みのタネだった自分は、直感的にこれなら治してくれるかもしれないと思った。
腰痛は高校時代必修でやらされた柔道の副産物で、朝、目が覚(さ)めて布団から起き上がる時から痛みとの闘いが始まり、今日も一日厄介(やっかい)な腰とお付き合いするのかと思うと、気が重くなる日々だった。
「重共のそばへ寄るとサロンパス(湿布薬)のにおいがする。」
と、友達によくからかわれた。
溺(おぼ)れる者藁(わら)をもつかむで、さまざまな治療を試みたが、症状は一向に改善されず、一生治らないかもしれないと絶望的になっていたのだ。
武道館公演の翌日、さっそく書店に足を運び、スポーツコーナーで太極拳の教室を探した。
現在は、カルチャー教室の案内に載(の)っていない方がおかしいくらい太極拳は普及しているが、当時はどこをさがしても見当たらず、ようやく神田のYMCAで楊名(ようめい)時(じ)氏が指導しているのを知り、通ってみることにした。
楊名時氏は大学の先生だけあって、話もうまく、とにかくその場の雰囲気は病(や)みつきになりそうなくらい魅力があった。
中国の健康体操である八段錦やソワイショウと二十四式簡化(かんか)太極拳がうまくミックスされ、あいだに中国の格言の説明があって、独自の世界が出来ていた。
参加者は二十人くらいだったが、みんな集団催眠(さいみん)にかかったように黙々と体を動かしていた。
(つづく)
[次号 4月1日]