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             浄円寺コラム<10>     2020,8,22重共聡

校長先生の大恋愛

 平成九年、京王線笹塚駅近くにある実費のマッサージ院で働いていた頃のこと。

お客さんがいない時に、たまたま来ていたオーナーの奥さんが言った。

「私たちの時代はね、男性と喫茶店に入るということは、結婚の約束をしているという

ことなのよ。」

「へぇー。」

 それを聞いて、二十代から四十代のスタッフがみんな目を丸くしていた。

 当時、異性と二人で喫茶店へ入るということは、それだけ特別なことだったのだ。

 

 そんな時代の、母から聞いた実話を三十年ぶりに思い出した。

 こういう内容だった。

 後に小学校の校長になった男性の青春時代、ひそかに思いを寄せている女性がいた。

でもなかなか言い出す勇気がなく、月日(つきひ)だけがむなしく過ぎて行った。

 

ところが、その女性が両親のすすめでお見合いをし、結婚の日取りまで決まったとい

う噂(うわさ)を耳にした。

 諦(あきら)めようとしたが、逆に思いは募(つの)る一方で、一人悶々(もんもん)とした日々を送っているうち、

とうとう結婚式当日が来てしまった。

若かりし日の校長先生はいても立ってもいられず、彼女の家まで行き、目のつかない

所に潜(ひそ)んでいた。

すると、花嫁姿となった彼女が新郎(しんろう)の家へ向かうため、玄関の戸をガラガラと開けて

表へ姿を現わした。

そこへ意を決して飛び出した校長先生は、

「これを読んでください。」

と、一冊の日記帳を彼女の前に差し出した。

その日記には、校長先生の彼女への思いが切々と綴(つづ)ってあった。

 彼女は立ち止まって日記帳を受け取り、その場で黙ってページをめくり始めた。

 

どれくらい経(た)っただろうか。読み終える頃には、彼女の気持ちは固まっていた。

結婚が決まっていた相手の家に断りを入れ、若き日の校長先生と結婚したという。

 

 まさに、ダスティン・ホフマンの映画『卒業』を彷彿(ほうふつ)とさせる内容だった。

 あの、「喫茶店へ入ること」イコール「結婚の約束をすること」の昭和初期の時代に

は考えられない、いや、現代でも聞いたことのないドラマチックな話だった。

 その校長先生の名前を何度か尋ねたけれど、結局母は教えてくれなかった。

 

 

助からない 2008夏

東京から富山へ戻って暮らし始め、早いもので、もうじき2年になろうとしています。

最初の一年は、お寺の仕事を覚えることから始めました。

 

お寺の集まりに顔を出すにあたって、母から言われたことが二つあります。

まず、

「お寺方の集まりでは、間違っても上座にはすわったらあかんぞ。一番下に控(ひか)えておら

れや。うちの寺は寺格(じかく)でいうと一番下だから、上座(かみざ)なんかへ座ると、それこそ笑いもん

の種(たね)になるぞ。」

ということ。

仏教の世界に上下関係があるのはおかしいとは思いましたが、まあ仕方(しかた)がないかと、

これは気をつけるようにしています。

そして、もう一つ、

「一年間は人前(ひとまえ)では、絶対にしゃべったらあかんぞ。でしゃばって余計なこと言おうも

んならつまはじきにされるぞ。おとなしくしているにこしたことはない。」              

 最初は反発も感じましたが、もともと無口なのもあり、その教訓を守って一年が経ち

ました。

 一年間『言わざる』を通してみて、母のいっている意味が少し頷(うなず)けてきました。

 

ところが、今年の6月にその教訓を破ってしまいました。

その日、2年に一回城端別院で開かれる南砺同朋大会の準備の会合に出ていました。

 テーマを何にするかというところで、難航(なんこう)していました。

夜9時を回ってもなかなか決まらず、僕は見たいテレビが見られなくなると焦(あせ)ってい

ました。

 そこで、ついにしゃべったらあかんという言いつけを破って口を開きました。

「あのー、僕は仏教の勉強を始めたばかりの初心者で、よくわからないのですけど、浄

土真宗で一番大事なのは、念仏ひとつで救われるということだと思うんですけど、僕は

そこの要(かなめ)のところを聞いてみたいです。それで、『念仏一つで救われるとは』というの

はどうですか?」

 みんな痺(しび)れをきらしているところだったので、

「それがいい。」

となり、結局、『念仏ひとつで救われるとは?』にすんなり決まりました。

講師は、大谷大学の准(じゅん)教授になりました。

 

そして、7月5日の同朋大会当日を迎えました。

 

ところが、講師である水島見(けん)一(いち)氏の口から出た言葉は、自分の期待を裏切るものでした。

「自分は絶対に助からないというところに立たないといけない。」

と水島氏は言いました。

それを聞いて、自分の耳を疑いました。

『なんでだ?』

でも、水島氏は助からないとはっきりと言っています。

『助かりたいと思って浄土真宗の教えを聞いているのに、助からないんだったら意味がないじゃないか?』

 

その疑問を抱えたまま一ヶ月が経ちました。

 そんなある日、水島氏の講話録を読み返している時アレッと思いました。その疑問に

答えている箇所(かしょ)があったんですね。

 そこを取り出してみますと、

   

 私(この場合、水島氏)がお話にいくところに熱心なご門徒がおられるお寺があります。

そこの聴衆(ちょうしゅう)のお一人が法話の後に質問に来られるのです。

「私は助かりたい。」

と言われるのです。そして、

「仏法がわからんのです。」

と悲しまれるのです。

 私が、

「わからんということは、まだまだあなたは自分が助かると思っているからでしょう。」

といっても、ご本人は解(わか)らない。

 何とか安心(あんじん)を獲(え)て腰を降(お)ろそうとするから仏法がますます解らなくなる。

『助かりたい』という思いが最後で最強の自我(じが)なのでしょう。

 ですから、『仏法聞き難(がた)し』なのです。

 最後で最強の自我が折れなければ自分は救われない。つまり『私は助からないという

のが本当であった。』と気付かないと、いつまでたってもわかりませんよ。

 

という内容です。

 ここを読んでハッと思い出しました。

幸作(こうさく)のおばあちゃんの、

「今まで何を聞いてきたがやら、念仏のことは解ったつもりでこれで安心して死ねるん

だと思っとったけど、一つも間に合わなかった。」

という言葉です。

 それは、うそ偽(いつわ)りのない妙(みょう)好人(こうにん)の言葉だなと、初めて思いました。

 

 同朋大会終了後、城端別院西(にし)の書院(しょいん)で慰労会(いろうかい)がありました。講師で大谷大学准教授の

水島先生にビールを注ぎにいくと、

「私は小学校3,4年の頃。(城端(じょうはな)町立)北野(きたの)小学校にいました。その時、あなたのお父さ

んが担任でした。」

と言われて、ビックリしました。

 というのは、そんなことなど全く知らないで、水島氏を第34回南砺同朋大会の講師

に推薦したのは僕だったんですから。

「あまり覚えている先生はいないのですが、いい印象としてはっきりと記憶していま

す。」

とも言われ、その言葉をパーキンソンの父に伝えると、ニコッと今まで見せたことのな

い笑顔をみせました。

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

 第一部 大東医専物語

 別れ

 古屋かおる先生が二年一学期で辞められたのには、正直いってガッカリした。

 登校時、事務窓口に出席カードを提出する時、机に向かっていた古屋先生と目が合う

と、何(な)故(ぜ)かそれだけで活力が湧(わ)いてきたものだ。

 彼女は、若い生徒達にはあまり受けがよくなかったみたいで、T君などは、きつね目

とか女ヒットラーなどと陰口をたたいていたが、年令的に生徒とあまり差がなかったた

め、甘く見られないようにちょっと無理をしている所があったのかもしれない。

 ある時、僕の机の上にT君からもらったドリンク剤を1ケース置いてあるのを、休み

時間に入ってきた彼女が見つけて笑いながら言った。

「重共さん、そんなに精をつけてどうするんですか?」

 

 解剖研究会

 三年に入ってから僕は解剖研究会に顔を出すようになった。

というのは、その時点で、部員が三年生三人、二年生一人という状況で存続の危機に

あり、部長の千葉さんが悩んでいたからだ。

僕は、

「やるだけやってだめだったら、それでいいじゃない。」

と励まし、夜遅くなるのはきつかったけれど、助っ人のつもりで参加していた。

 努力のかいあってか、新一年生が三人入ってきた。結果的にはもっと増えることにな

るのだが。

 大東医専のクラブは他に柔道部、臨床(りんしょう)研究会があり、この解剖研だけが歴史が浅く活

動内容も流動的だったため、やり方を試行錯誤しながら一学期が終わった。二学期に入

ると二年生も二人増え、部としての体裁(ていさい)が整ってきた。

 部活の進行は、もっぱら部長である千葉さんの独壇場で、

「お前ら○○だ。」

という語り口は、僕が中学生の頃テレビドラマで一世(いっせい)を風靡(ふうび)した『青春とはなんだ』の

ワンシーンを見ているようで懐(なつか)しい気がした。

 千葉さんのあのリーダーシップは、やはり学生時代の応援団活動を通じて培(つちか)われたも

のだろう。僕の解剖研へ行く楽しみは、その千葉さんのまさにスポ根(こん)ドラマの練(ね)り上(あ) 

げたシナリオを読んでいるような話術に接するのと、具体的な活動内容を模索(もさく)すること

の二つだった。

 敷(し)いてあるレールの上に乗っかって行くよりも、まだ未知数(みちすう)の所でやる方が、これか

ら開拓(かいたく)する魅力があって面白いと思った。

                                  (つづく)

                               [次号9月5日]

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