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             浄円寺コラム<75>    2023,2,18重共聡

 伝説の秘技 大和魂(やまとだましい) 1965冬 (その一)

 中学校へ入った時、こんなうわさが耳に入ってきた。

「大鋸屋(おおがや)小学校にヤマトダマシイという秘技が伝わっている。」

 それがどうも、

「鉄棒の技らしい。」

ということ。そして、

「それを達成した人物が現在までに数人いる。」

さらに、

「そのうちの一人は、この中学校に通っている。」

「自分と同じ一年生でテツオという男だそうだ。」

 

 そこまで判明したところで、僕はテツオ君のクラスへ足を運びコンタクトをとってみることにした。

 彼を目の前にした印象は、分厚めのメガネをかけた中肉(ちゅうにく)中背(ちゅうぜい)のごく普通の中学生だった。

 話してみると、質問に気さくに応じてくれた。

ただ、話だけでは解らないので、実際にこの目で見たい旨(むね)を話すと二つ返事でOKしてくれた。

 

放課後、中学校のグラウンドの端にある鉄棒の前で待ち合わせた。

テツオ君は、学生服の上着を脱いでYシャツ姿になった。

そして、右端にある高い方の鉄棒にジャンプしてぶら下がった。次に、逆上がりで上(のぼ)り鉄棒に腰かけた。

固唾(かたず)をのんで見守っている僕の前で、いよいよその時が訪れた。

 

「!!…」

一瞬の出来事だった。

その直後、なぜ大和魂という名がついているのか納得していた。

                                 (つづく)

 

 四本の大木 (その二)

 その受けて通れいうんじゃ、どうもならんじゃないか言うたところが、これが父が仏教信者だったけん、

「ワレに受けて通る力があるもんかい。南無阿弥陀仏さまに受けてもろて、通らしてもらうのよ!」

滅多なことでものを言わん父から言われ、

「うーん、そうじゃ。」

と、この身が頷(うなず)いた。

 

 ワシがじわじわつまらんことを言うたりしたら、

「あれも業(ごう)じゃけんの。」

とお母さんに言うんや。

 業の方はお母さんがよう知っとった。あれはお寺で大きくなったけん。

 それで事(こと)が済(す)んだんじゃ。大きな木切ったの。

 そういうようなことをやったワシですけん、恐ろしい心を持っとったもんじゃのうと、ワシャ思うたんでありますよ。

 

その出来事が人生の一つ一つにあたっていく度(たび)に自分を導いてくれるのであります。つまり、宿業は逃れられんもんじゃ、逃れらりゃあせんもんじゃ、それだけは非常に

きつく自分の脊髄を貫いとるけん。

そして、その自分の宿業はどうして受けるかゆうたら、どうして受けるもこうして受けるもない、ナムアミダブツ、ナムアミダブツを称えて受けるより他に受ける力がないんじゃワシには。

 それだけは、子供の頃から教えてもろとったんじゃ。

 まあ、そういうようなことでありました。

 

 

広美 1975夏 (その三)

 姫路から相生(あいおい)まで行き、赤穂線に乗り換えて播州(ばんしゅう)赤穂に着いた時は正午を回っていた。

 北側は低めの山々が連なり、何となくのどかな空気が漂(ただよ)っていた。住宅地の一角にある自宅はすぐに解った。見るからに純朴(じゅんぼく)そうな両親が迎えてくれた。そして、お母さんが彼女の思い出を語ってくれた。

「広美ちゃんは、よく気がつくとても優(やさ)しい子だった。書道が得意で、よく親の代筆をしてくれたんですよ。」

 壁を見上げると、晴れ着姿の写真が掛けてある。

「あれは、成人式の時に撮(と)ったんですよ。」

 そして、奥からアルバムを出してきてくれた。

「気に入ったのがあれば、何枚でも持っていってください。」

と言われ、中の一枚を抜いた。

 庭先のブランコに腰掛け、何か悲しそうな目でこっちを見ているスカート姿の女の子。それは、僕のイメージの中の彼女にピッタリだった。

 

 二時間近く経ったので、これ以上長居(ながい)すると迷惑になると思い、お礼を言って腰を上げかけた。

 その時、思い出したようにお父さんに住所を聞かれ、紙片に万年筆で名前とともに書き込んだ。それを一目見てお母さんが言った。

「あぁ、この字、見覚えがある。この手紙よく来てたわねえ。」

「でも思い出すと悲しくなるので、全部焼いてしまったんですよ。」

 そこへ、若い女性が赤ん坊を抱いて現れた。

 その姿を見た途端、ある記憶がよみがえってきた。広美から送られてきた写真に写っていたお姉さんその人だったのだ。

 そして、もう二度と来ることのないであろう彼女の家を後にして、お姉さんの車で駅まで送ってもらった。

 

車窓から見える瀬戸内海は涙で曇っていた。

「なんで、死んでしまったんだ!

 彼女とは、結局この世では一度も顔を合わせることなく終わってしまった。

 せめて、一目(ひとめ)だけでも会いたかった…」

 どこへも持っていきようのない悔しさが、胸をしめつけた。

 

 でも僕の心の中には、今でも彼女は生き続けている。

 そう、手紙を通して文章の書き方を教えてくれたのは、まぎれもなく彼女なのだから。

 

前略

    重共さん、その後いかがお過ごしですか?

    私は元気ですが、この毎日が忙しくもないのに、ただあせるばかりなのです。

    あなた達は今、受験でさぞいそがしい毎日でしょう。

    私たちは、みなもう安心してしまっています。

    なぜなら、三学期は内申書につかないからなんて…ある人に聞いたのですが、

    でもはっきりわかりません。

    私は内申書が三学期いかなくっても、せい一ぱい頑張るつもりです。

    それでついたなら、さぞうれしいことでしょう。(重共さんに関係ないわネ。時間のむだネ)

    重共さんは、高校受かる自信がありますか?

    私にはありません。

    すべったら、重共さんにも手紙を出せなくなるわ。

    だって、はずかしいもの。

    でも、すべってもわらわないでネ。なぐさめてネ。

    でも、私は力いっぱい頑張るつもりです。

    あなたも、精一杯がんばって下さい。

    あなたは受かると思いますが、もし、せいいっぱいがん張ってすべったなら、

  しかたがないと思う。

    自分には、力がないということになるかもしれないけれど。

    私は重共さんが受かることを祈っています。心から…

    頑張ってネ、最後の最後まで、私もがんばります。応援してネ。

    もうこれくらいにしとかなくちゃ。あなたに迷惑ですから、ペンを置きます。

    返事は、あなたが手がすいて、心がまとまってからでけっこうです。

    重共さん、私達、高校生になっても文通続けましょうネ。

 

                 ジャー good by

                                     Hiromi Takigawa より

                                (原文のまま)

   

                                 [次号 3月4日]

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