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              浄円寺コラム<66>         2022,10,15

<芸術の秋 企画>

茶の道1992冬

『一芸は百芸に通ず』という言葉があるが、なるほどと思ったことがある。

 三十代の一時期、池袋のデパートにあるカルチャー教室で裏千家のお茶を習っていた。

 夜は学習塾をやっていた関係で水曜午後のクラスに顔を出していた。そのためか、参加者は殆んどうら若き女性達、自分はまさに白(はく)一点?だった。先生も女性四人で鎌倉のN先生の弟子にあたる。

 毎回新しいお点前(てまえ)(※)を教え込まれるため覚えるのが大変で、ついて行けるようになるまで四カ月はかかった。

 そんなある日のことだった。

 柄杓(ひしゃく)の持ち方を直そうと、初級クラス担当のT先生が、

「角度はこれ位がいいわ。」

と、僕の右手首を軽くひねった。

 その途端、フワッと腰が浮いてひっくり返りそうになってしまった。

 自分が体術の稽古でなかなか出来なくて苦労している技を、この竹久夢二の絵に出てきそうなほっそりとした女性が、いとも簡単にやってのけたのだ。

 目の前で起った光景を見て、彼女は一瞬驚いたようだったが、僕がおどけてみせたと思ったのだろう。

「オホホ…」

と口に手を当てて笑っていた。

 

 それともう一つ、上級クラスで二十代後半のYさんのお辞儀を見て、

「これは?!」

と思った。

 頭を下げてから徐々に起していく。その時の動きが、何というか、ちょっと言葉に表現出来ないが、とにかく絶妙なのだ。

 頭を下げる動作を実(じつ)とすれば、上体を起すのが虚(きょ)になるだろうか。

 離れて見ているだけでも吸い込まれそうになり、こちらの腰がくずされてしまう。

 他の人のも気をつけて見ていたが、彼女のおじぎだけが違っていた。

 その理由を聞こうと思っているうちに、こちらが先に辞めることになり、とうとう聞かずじまいに終わった。

 

 それにしても、二時間の稽古を終えた後のあの充実感は何なのだろう。

 カラオケやフィットネスクラブでは得られない独特のフィーリングだ。話すことといったら、

「お菓子をどうぞ。」

「お先に。」

「お点前頂戴いたします。」

くらいなもので、あとは静寂の中で四百年間脈々と受け継がれてきた『茶をたてる』『飲む』という決まり事を作法通りにこなすだけなのだが…。

 まあ、学生時代に『むっつり右門(うもん)(※)』と言われたほど、じゃべるのを苦手としている自分にとって、気が楽だったことだけは確かだ。

※お点前…お茶をたてる作法。

※むっつり右門…1969年放送で中村吉右衛門主演のTV時代劇「むっつり右門捕物帖」の無口な主人公。                      

 

 医療・介護の世界に足を踏み入れて

 第四部 開業

 かえで整骨院 2007夏

   平成十八年の九月、二十一年間住み慣れた川口から生まれ故郷の富山県南砺市に戻ってきた。

 まず、お寺の日常業務である月忌(がっき)参りからスタートした。

 十月の報恩講(ほうおんこう)のデビューも終え、近隣(きんりん)の寺の住職たちと一通(ひととお)り顔を合わせた頃、ある依頼が入った。

「今度、井口(いのくち)デイサービスのボランティア法話が順番からいくと浄円寺さんの番なので、行ってきてください。」

 いきなり法話の話が舞い込んで戸惑ってしまった。

 まだお説教はしたことがなく、まったく自信がなかったので、思案(しあん)したあげくデイへ直接電話してみることにした。

「法話の代わりに体操でもいいですか?」

すると、大丈夫ですと言われホッと胸をなでおろした。

 結局、東京のNデイでやっていたグループ体操が意外に受けて、その後二回体操だけで井口デイに呼ばれることになった。

 そのことがきっかけとなり、それから、社会福祉協議会や老人会、婦人会、公民館活動、変わったところでは、ヘルパー派遣事業所の研修会などに呼ばれて、「重(しげ)さん体操」をすることになった。

 デイでやっていた体操がこんなに役立つとは予想外だったが、本職の太極拳よりもこっちの方が、自分のオリジナルが出せていいかなとも思った。

 

お寺のかたわら接骨院をやろうか決めかねているうち十二月に入った。

入って間もなく、住職の資格を取るため京都東本願寺の研修道場へ、二泊三日の住職修習を受けに行った。

 いい機会だと思い、班ごとに分かれてのディスカッションの時間に、同じ班の十名の住職候補生の人達に胸の内を聞いてもらった。

 すると中の一人が言った。

「接骨院をやっているお寺があるよ。」

 その言葉がグッと背中を押してくれた。

 

まず両親に意向(いこう)を伝えて同意をもらった。

次は場所だった。接骨院は「一に場所、二に場所」と言われるくらい、どこでやるかが集客には重要になってくる。でもお寺の仕事もあるので、門徒や信徒が見えたときのことを考えて、離れた所でやらない方がいいと思った。

 僕自身は本堂でやる構想を描いていた。待ち時間や施術(せじゅつ)した後、お参りしてもらえるし、他の接骨院との差別化になるというのがその理由だ。

 ただ、父に話すと即座に却下(きゃっか)された。

 じゃあ玄関入口の部屋にしようかなと考えているとき、父がポツリと言った。

「西の間でやったらどうや。」

 その一言は意外だった。

西の間と呼んでいる六畳と八畳二間(ふたま)からなる離れの建物は、父が退職したときに、父の隠居所(いんきょじょ)として退職金で建てたものだったからだ。

 実際は、来客用として年数回しか使っていなくて新築同然(どうぜん)だったので、最初は躊躇(ちゅうちょ)したが、最終的にそこを使わせてもらうことにした。

 和風の接骨院もユニークでいいんじゃないかと思った。

六畳間を待合室にして八畳間を施術室にすることにした。六畳間にはもともとソファーとテーブル、テレビが設置してあったのでそのまま使わせてもらうことにした。

 

次の問題は、通りから入口までの十メートル余りをどうするかだ。

飛び石になっているが、足や腰を痛めて来院する患者さんも少なくないだろうし、どうしようか考えたが、いいアイディアが浮かばないので、親戚の加藤建材の社長に相談することにした。

 すると、しばらくしてトントン音が聞こえるなと思っていたら、いつの間にか木肌(きはだ)が美しい渡(わた)り廊下(ろうか)が出現していた。選挙が終わったばかりの、廃材(はいざい)になるポスター用看板を利用したとのことだった。屋根付きの玄関口も作ってもらい、夜間、照明をつけると、高級料亭のような雰囲気になった。

 見違えるほどの出来(でき)映(ば)えに母が言った。

「コウちゃん(加藤社長)はアイディアマンだねえ。」

 この一言は、的(まと)を得ているなと思った。

 ちなみに、看板も手頃な板を一枚持って行って加藤さんにお願いした。現在は二代目になっている。

 

 次に、肝心な接骨院の名前だ。

 最初は「浄円寺整骨院」にしようと思っていたが、父が「寺と同じ名前にしない方が…」と言ったので、すぐにやめた。

これは我ながらいいと思ったのが「あかり整骨院」だ。

あかりは灯明(とうみょう)にも通じる。すると今度は、「西明にあかりちゃんという子供がいる。」と言われた。会心(かいしん)の作だと思っていたので、さすがにこのときはがっかりした。

 思いつくままにいろいろ書き出しているとき、母が言った。「楓(かえで)の木があるし、かえで接骨院はどうや?」

 暗中模索(あんちゅうもさく)している状態だったので、これは渡りに船だった。 

そういうわけで、紆余曲折(うよきょくせつ)の末(すえ)「かえで整骨院」に決定した。

 

 そして、平成十九年七月二十五日の開業当日を迎えた。

 宣伝はこの西明(さいみょう)地区四十八軒のみパソコンで作ったお知らせのB-5用紙一枚ずつポスティングしただけだった。果(は)たして患者さんが来てくれるか不安になりながら受付に座っていると、午前十時十五分の開始時間を過ぎてまもなく、板張り廊下を見知ったこの村の年配の男性がこちらへ歩いてくる姿が目に入(はい)った。

 その姿に後光(ごこう)が射(さ)して見えるほど感謝の気持ちがあふれてきた。それを皮切(かわき)りにポツポツと患者さんが現れた。

 結局、患者さんの足は基本的に車だった。 

 町から離れた農村でやっても大丈夫だろうかという当初の不安は杞憂(きゆう)(※)に終わった。          ※杞憂…取り越し苦労   (つづく)[次号 10月29日]             

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