真宗大谷派 浄円寺
64
浄円寺コラム<64> 2022,9,17重共聡
小さな失敗談<その4>
万引き
親鸞聖人は言っている。
「わが心のよくて殺さぬにはあらず。また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし(自分の心が善いから殺さないのではない。また、殺すまいと思っても百人はおろか、千人もの人を殺すこともあるだろう)。」
この言葉を引用すると、こうなる。
「万引きしようと思わなくても、万引きすることもある。」
自分のしたことは、まったく弁解の余地のない万引きだった。
40代半ば、千葉県流山市の整形外科に勤めていた頃だった。
お昼になり、昼食を買いに近くのスーパーへ足を運んだ。
そのあと、道を隔てた向かいの薬局へ立ち寄る予定でいた。
そして、スーパーを出て薬局へ入った。
薬局内でふと立ち止まった時、両手に日替わり弁当や納豆、卵パックなどを抱えている自分に気がついた。
そこである疑惑が湧いてきた。
「スーパーでお金を払って来たっけ…」
記憶をたどってみたが、払った覚えはどこにも見当たらなかった。
食品棚から欲しいものを手に取ったところまでは覚えているのだが、そこで順路を飛ばしてしまい、気がついたら薬局にいたという訳だ。
原因は思い当たらなかった。もちろん断じてわざとではないし、認知症にはちょっと早過ぎると思うのだが…。
事の重大さに気づいて、出て来たスーパーの方を見たが、追いかけて来る店員は一人もいなかった。
薬局での買い物どころではなくなり、すぐさまスーパーに戻った。
幸い目撃者はいなかったようだ。
無事レジを通過したところで、ようやくホッと一息ついた。
レジを通らず商品を持ったまま店外へ一歩出た途端、万引きが成立する。捕まらなかったのが不思議なくらいだった。
罪悪感は一切なく「万引きしようと思わなくても万引きすることもある。」を地でいく出来事だった。
生きた話<その二> 2022夏
藤解先生は浄土真宗の一派である真宗木辺派(きべは)の僧侶だが、流派にはこだわらず、東本願寺へもよく出入りして説法していたとのことだった。
真宗大谷派の暁(あけ)烏(がらす)敏(はや)先生が大先輩とも話しておられるので、法話に全く違和感を感じなかったのが頷(うなず)けた。
ある時、お寺の大法要があって、そのお寺にワシもお参りしたんや。(ところが)向こうから廊下をタッタッタッタッと歩いてくるお坊さんがおる。そのお坊さんワシみたいに高慢げで、その坊さんが向こうから来よる。
これに頭下げんにゃ下げたことにはならん。と、こう思うんじゃけんのう。
ワシャ高慢げなヤツは大嫌いなんじゃ。そういうのがおるんよ。それに頭下げるんじゃけん命がけよ。命がけでやらんにゃ、解るもんじゃない。ここをゆうもんよ。
そっでワシがのう、高慢げな坊主がトットコトットコ来よると思うた時、こっち頭下げんにゃ、こう思うて、ワシャ廊下へ手をついて下げたんよ。
下げたら、ワシが下げとるのにウンともスンとも言やせん。チャッチャッチャッチャ通っていった。
ワシがこんだけ頭下げとるのに、止まりやがらせん、ケッ(笑)
そしたらのう。こんな心がのう。
向こうが下ぎょうと下げまいと、そりゃ向こうのこっちゃろ(ことだろう)?ワリャ(私は)下げたらええんじゃ。ただ下げたらええのに、向こうが下げんにゃ(下げないと)、クソ、この坊主めがと(いう心が起ってくる)。それで、下げたことになるんじゃろうかのと、ワシがワシに聞くのよ。
それじゃ下げたことに一つもなっちゃおらん。
そこで、いよいよまこと(本当に)解ったんよ。その坊主のおかげで。
相手がのさばり返っとっても、我が下げさえすりゃええんよ(いいんだ)。
相手に用事はないんじゃ。ゆうても(言っても)そうはいかん。(笑)
そうはいかんゆうもんと(言う者と)それじゃつまらんゆうもんとが大喧嘩(おおげんか)するんじゃワシの心の中で。
なっかなか。
ただ、我が下げるということにのう、なりきるゆうこたぁ(言うことは)容易なことじゃなあけん、あんたらが難渋(なんじゅう)するのはワシャようわかるよ(よく解るよ)。
下げたように思うとって上げとるんよ。そういうことを自分の中に発見するんよ。
(つづく)
医療・介護の世界に足を踏み入れて 第三部 リハビリ日誌
Nデイのエジソン
「先生、私はこれを生きているうちに、なんとしてでも完成させたいんですよ。」
マッサージのたびに原田さん(男性)は言っている。
これとは、『排泄物(はいせつぶつ)分離処理具』と命名して、大小便を別々に収納(しゅうのう)できるおむつのことだ。
それに関して取得した特許の免状が三枚もあるのには驚いた。
「紙おむつはいろんなところから出ているが、大と小が一緒になっている。分離しているのはまだどこにもない。」
というのが口癖(くちぐせ)の、今年九十歳の大台に乗った原田さんの、発明に対する情熱は衰(おとろ)えることを知らない。
時々試(し)作品(さくひん)を持ってきて、
「先生、これをデイに寄付したら、希望者に使ってもらえますかね?」
と尋ねられるのがつらいところだ。
結果は火を見るよりも明らかなので、その度(たび)に、
「ここは、福祉事業団管轄(かんかつ)の一施設にすぎないので、所長の独断(どくだん)では使えないんですよ。」
と言い訳(わけ)している。
それにしても、原田さんの発明に興味を示しているのが僕だけしかいないのは寂しい話だが、女性中心の職場だからどうしても夢より現実に目が向くのは、しかたがないのかもしれない。
「テレビ見てたってどうしようもない。」
と、今日も処理具の改良に取り組んでいる原田さんを見ていると、自分の惰性(だせい)に任せた生き方が恥ずかしくなってくる。
グループ体操 2005冬
「重共先生、今まで体操やっていたPT(理学療法士)が異動になるので、代わりに体操やってくれませんか?」
ナースに頼まれ、
「ハイッ解りました。」
と簡単に引き受けたはいいのだが、うっかり承諾(しょうだく)したことにその日から後悔し始めた。
グループ体操。毎日デイの利用者約三十人を対象に、午後二時から二十分位やる体操をそう呼んでいた。
話があったのが二月で、実際にスタートする四月までは二カ月間あった。
太極拳だったら二十代から教室を持っていたので何とかなるのだが、体操は初めてで未知の領域(りょういき)だし、そのうえ対象がデイの利用者の人たちとなると難易度がグッと上がる気がした。
中には認知症の人もいるので、うまくいかなかったら毎回が針のムシロだなと、次第に憂鬱(ゆううつ)になってきた。
初めの頃は、断るもっともな理由ばかり考えていた。が、考えているうちあっという間に一カ月が経ってしまった。
それで、あきらめて体操を考案することにした。デイでやっていた体操の雛型(ひながた)があると言われたが、どうせやるなら自分独自のものを作りたいと思った。太極拳を長年やってきたプライドがそうさせたのかもしれない。
それで、休日を利用して新宿へ繰り出し、御苑(ぎょえん)近くの喫茶店へ終日籠(こも)って考えを巡(めぐ) らせた。イラスト入りの体操が完成するのに丸三日かかった。イラストを描き終えてお店を出るたびに、頭の中が脳みそを水で洗ったようにスッキリしているのを感じた。絵を描く行為は頭を軽くするんだなということをその時発見した。
内容はリハビリ体操とつぼマッサージの二部構成で、すべて自分の体験から取り入れた。
そして、できれば来てほしくなかった四月が訪れた。
ところが、一日目も二日目も体操の声がかからなかった。
「ナースは忘れているのかな?それとも、やらなくてもよくなったのかな?」
と自分に都合よく解釈して、
「このまま声がかかりませんように…」
と心の中で願うようになっていた。
でもそれは甘い期待だった。四月も三週目に入ったところで突然ナースの芝崎さんから言われた。
「重共さん、今日から体操お願いします。」
ついに来たかと思ったが、腹を決めて利用者三十人の前に立った。
しゃべり始めて間もなく、そこに別人格の自分がいるのに気がついた。今まで知らなかった別の自分が独(ひと)り歩きして、みんなの前で水を得た魚のように盛り上がっているのだ。
トーク(話)の最中(さいちゅう)に、急に目の前に座っている認知症のNさん(八十代女性)が言った。
「ねえ、ねえ。」
「ハイ?」
「あれ、だーれ(誰)?」
僕の後ろを指しているようなので振り向いた。その途端(とたん)意味が飲み込めた。
「鏡にみんなが映(うつ)っているんですよ。」
その一言(ひとこと)で納得したのか、彼女はあとは何も言わなかった。そして、そのやり取りが自然に進行の流れの中に組み込めていたことに気づき、自分の中にこの体操をやっていく自信のようなものが芽生(めば)えてきた。 (つづく)[次号 10月1日]