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 浄円寺コラム<56>       2022,5,28重共聡

 生死を超える道へ

 関君、いよいよ大事な時になったなあ。

 この病気は後になるほど痛みが増すと聞いているが、君もさぞ大変だろう。慰めようもない。南無阿弥陀仏。

 南無阿弥陀仏におあいできて本当によかった。

 これが人生のすべてであった。

 私は昨年十二月以来入院して、このことをいよいよ知った。君も同じだと思う。本当に良かった。南無阿弥陀仏。

 人間、最後の場に立ったとき、心に残るものが二つあるという。

 一つは死んだらどうなるのかという問題。

 一つは残った者はどうなるのかということ。

            <略>

 死ぬも南無阿弥陀仏

 生きるも南無阿弥陀仏ただこのこと一つ

 残った者は私の死を見て、何かを得て、それぞれの人生を歩む。

 私は願う、どうか良い縁を得て、この道に立ってくれよ、南無阿弥陀仏、と。

 このこと一つを願い、このこと一つを南無阿弥陀仏に托(たく)して歩んでゆく。

 すべてを如来におまかせして進むとは、この事である。

 こうして念仏道に立つ者には、残る問題は一つもない。

 関君、どうか、

 学芸大学時代から、田川、飯塚と、本当に長い間、よく聞法してくれた。有難う。君が一生かけて如来実在したもう証明者として生きてくれてうれしい。

 私の方が先に浄土に行っていると思ったが、君が先かもしれぬ。

 しかし、あともさきもない。皆、南無阿弥陀仏を生きてゆくほか道はありえない。

 よかった、よかった。君の人生、苦労もあり、誤りもあり、思うようにならなかったことも少なくなかったと思うが、人生の最後にあたって、感謝し、有難うございますと言える人は、白(びゃく)蓮華(れんげ)(※)である。

 私は大分よくなった。あと何年かは働けるだろう。君の分も背負って、如来のため、報謝(ほうしゃ)の一道を進みたい。

      六月二十六日                     細川巌

 

  ※白蓮華…蓮華の中でも最も高貴とされる白い蓮(はす)の花。妄念、欲望に惑わされない清らかな仏の心を意味している。

 

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

 第三部 リハビリ日誌

 事務室風景

当初の職員は、四人の寮母さんと看護師、事務員、ケアマネジャー、理学療法士、栄養士が各一名、そしてパートと食堂関係者という構成で、ほとんどが四十代の自分と同世代か、少し下の女性群で占めていた。

 僕は柔道整復師の資格を取ってから、整形外科、実費のマッサージ院、接骨院と渡り歩いてきたが、やることは大差なくても介護の現場は初めてなので、職場を変わるたびに味わうあの緊張感は今回もあった。

 まず、

「マッサージの希望者が増えてくれるだろうか。」

という不安。

 一日の利用者が三十名近くいる中で、希望者は六名からスタートした。

 少なくて申し訳ないという気持ちと、早くデイの職員の人たちの信頼を得たいという思いで少し焦(あせ)っていた。

 ただ、マッサージを取り入れたリハビリをやるのは、Nデイでは初めてということなので、ゼロから作り上げていく楽しみもあった。

 

 二日目、出勤すると窓口から親しげな笑顔で挨拶する寮母さんがいた。

 すぐに、紹介してくれた木下さんだと直感した。彼女とは電話では話したことがあるけれど、直接会うのは初めてだったのだ。

 その日から彼女が異動するまでの三年間一緒に仕事をすることになるのだが、陰になり日向(ひなた)になりして僕をサポートしてくれた。

 例えば、マッサージの希望者が多くて猫の手も借りたいとき、

「次、誰を呼びますか?」

と気を利かせて、いいタイミングで利用者の人たちを連れてきてくれ、孤軍(こぐん)奮闘(ふんとう)している自分は大いに助かった。

 高橋所長のいた三年間は、仕事が終わると事務室の空(あ)いている席に座り、ミーテにィングに参加したり、職員の人たちと雑談を楽しんだりしていた。

 ただ主婦ばかりなので、晩ご飯のおかずとか子供の学校の話に最初はカヤの外だった。

 打ち解(と)けて会話に入っていけるようになるまで半年はかかった。

 その頃にはマッサージの希望者も十名を超え、ようやくデイの一員になれた気がした。

 

 僕がNデイにいた当初は、日曜毎(ごと)にミカン狩りやブドウ狩りを企画して職員たちで出かけていたし、二カ月に一度はバーベキューや飲み会をいろんな名目(めいもく)でやっていた。

 田中ケアマネが家元(?)の「鬼千家」の茶道部と、白岩相談員がキャプテンのバレーボール部が週一回活動していた。僕もたまに帰りが遅くなった時など、お点前(てまえ)を頂戴した。

 また、寮母の庄内さんの娘さんの高校の夏休みの自由研究を手伝ったこともある。

 それにしても、職員室(事務室)の空気は自分にとってはとても新鮮で居心地がよかった。

 学生の頃、学校の教員も卒業後の選択肢に入れて教職課程をとっていたことがあり、職員室に対してある種特別の思いがあった。それが予期せぬ形で現実のものとなったの

が嬉(うれ)しかった。

                          (つづく)[次号 6月11日]

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