top of page

49

             浄円寺コラム<49>      2022,2,19重共聡

続 あぼちゃ

 自分の子供の頃は、冬になると雪合戦やパッチ(メンコ)、雪だるま作り、スキーなどいろいろやった。が、中でも「あぼちゃ」は別格の遊びだった。

 

道具はスコップのみ。

条件はある程度の積雪があること。そして道沿いに川が流れていること。大雪であれば、なおいい。

一人でも出来るし、仲間たちとも一緒に出来る。

 10分で終了することもあれば、1時間以上かかることもある。

 ただし、終わった後には独特の達成感を味わえること間違いなしだ。

 

[遊び方]

  • 一号ダムを作る。

  • 二号ダムを作る。

  • 滲(し)みこんで柔らかくなり、しまいに下流へ流されていく。

  • 三号ダムを作る。

  • 決壊(けっかい)して三号ダムに押し寄せてくるが、完成度が高い三号ダムはなかなか決壊しないだろう。

時間とともに水が徐々に雪で出来たダムに滲みこんで、そのうちチョロチョロとダムの下から小さな流れが起り、それがだんだん大きくなって最後には満水状態のままダムごと持って行かれる。そして川水が流れ落ちるドンドコに差し掛かったところでザッバーンという轟音(ごうおん)とともにゆっくりと姿を消していく。

 

あぼちゃの中には建設と破壊があり、最後には心の中に一種の教訓(きょうくん)が芽生(めば)えてくる。

 他のスポーツと違って言葉は必要なく、ただ、皆一つの目標に向かって一致(いっち)団結して黙々とスコップを操(あやつ)る。

 雪のダムが破壊されていく光景は迫力があり、皆その場に立ち尽くしてただ茫然(ぼうぜん)と放心(ほうしん)状態になって眺(なが)めている。そして、同時に水の力、水害の怖さを教え込まれる。

 あぼちゃを心ゆくまで堪能(たんのう)したあとは、スコップを抱えてそれぞれの家路に着く。

 心の中は、あぼちゃでしか味わえない達成感に満たされ、同時に水の破壊力が無意識下(むいしきか)にインプットされている。

 こんな遊びが他にあるだろうか。

 雪国に生まれ育った自分達のみに与えられた特権(とっけん)だ。

                                 

 

 原稿⑭ 安心問答(その三)

【問い】

   私も長い間聴聞してきましたが、近頃夜中に目覚めると、ふと、

  「私はこれでいいのだろうか?本当に浄土へ参れるのだろうか?」

  と不安に思うことがあります。私も、

  「これでこそ解った!助かった、有難い!」

  と喜んだこともあったのです。

   でも病気をして心が細く弱くなると、なんやら(何やら)安心したような、安心しとらん(していない)ような心細い気持ちになって、念仏しても、つらいのが楽にもならず、有難くもなく、本当にその時その時の条件次第で、自分の心がコロコロ変わるのです。それで、

  「こんなことでは自分の信仰は間違っているのではないだろうか?」

  と、疑いの心が出るのです。

   如何(いかが)なものでしょうか?

【答え】

   はい。それを煩悩具足の身と申すのです。

  「有難い。」と言うのも煩悩、「有難くない。」と思うのも煩悩。

   財布(さいふ)ひとつ落としても心が転倒して本願が聞けない私。嫁とケンカして腹立てるだけでも本願が聞けない私。

   なぜそんなコロコロと変わる自分の心を覗(のぞ)いては喜んだり悲しんだりするのでしょうか。

   これはみな煩悩です。

   煩悩はどうにもならないものです。

   煩悩は煩悩に任(まか)す外(ほか)ないのです。

   だからこそ、ナムアミダ仏と弥陀をたのみ弥陀にまかすのです。

<連載企画> 

医療・介護の世界に足を踏み入れて

第二部 医療日誌

 結束

ある日、常連の右翼の大物Oさんが友人と称する男性を連れて来た。

 その友人は強面(こわもて)で、いかにも実践(ストリートファイト※)を積んでいるようにみえた。

 真剣と立ち合った話に及んだ際、

「日本刀は真っ直ぐ突かないと曲がってしまうよ。」

と意外なことを言われた。

 日本刀が曲がるなんて信じられなかったが、刃と柄(つか)の境目の細くなった部分ならありうるかなと思った。

 これは実際に体験しないと出てこない話題だ。

 そんな彼も痛みには弱いようで、マッサージ中は初めから終わりまで、

「イタタター!」

と声を上げていた。

                    ※ストリートファイト…路上などでのケンカ。

 

 ショッピングセンター内には、床屋さん、美容院、弁当屋さん、パン屋さんがあり、よく接骨院を利用してもらっていた。

 僕も、お昼にカレー弁当を買ったり、夜八時に接骨院を閉めた後、疲れた体を引きずってパンピーノへ寄ったりしていた。パン屋の御主人とは同郷で、売れ残ったパンをサービスしてもらうこともよくあった。

 

 オレンジで仕事をやるようになって六年過ぎた頃、院長が体調をくずしたため、急遽(きゅうきょ)チェーン展開している大手のT十字に身売りすることになった。

 スタッフはそのままで、新しい院長がT十字から送り込まれてきた。

 その年の暮れ、T十字グループの忘年会を兼(か)ねた総会に、少林拳の川口先生と二人で参加した。

 そこで、みんなの前に立って今年の業績等について話している幹部の男性を見て、アッと思った。見覚えがあると思ったら、大東医専の二年次に入って来た留年組の一人だったのだ。

 その時、大東で教わった堀口先生の言葉を思い出した。

「学校の成績がよくなかったのに、仕事に就いてから頑張って活躍している卒業生が何人もいるよ。」

 彼を見ていると、まさにその一例だなと思った。

 宴会が始まり、社長の席にビール瓶を片手に挨拶にいくと、

「重共さん、オレンジ接骨院をよろしくお願いします。」

と言われた。それを聞いて、創業者は違うなと思った。

 

ただ、新しいやり方に馴染(なじ)めなかったり、将来を考えて辞めていくスタッフが一人二人と出て来た。その度(たび)に、馬場の駅近くの居酒屋などで送別会をやった。そして、そのたびに残ったスタッフの結束が強くなっていった。

 

       

       

     

       オレンジのスタッフと(一番奥が筆者、その手前が川口先生)     

 

 オレンジが新体制になって一年後、僕は実家のお寺を継ぐため帰郷した。

 翌年、離れの和室で整骨院を開業した。その半年ほど前に、オレンジの院長だった笹井先生が奥さんと東京からはるばる訪ねてみえた。

 その時、どんな接骨院を目指すのか問われて答えに窮(きゅう)していると、

「患者さんが行きたくなる接骨院を目指してください。」

と言われた。

これはまさに金言(きんげん)だなと思った。

 しばらくして、開業祝いにからくり時計が送られてきた。

 十四年経った今でも待合室で正確な時を刻(きざ)んでいる。

 

                                        (つづく)

[次号3月5日]

bottom of page