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             浄円寺コラム<41>     2021,10,30重共聡        

「じょ・う・は・」2021秋

「どうして自分はTVドラマが好きなんだろう?」

「見る時間を削ると、もっと時間を有効に使えるのに。」

といつも思うのだが、新番組が始まると片っ端からチェックしてしまう。

 ただ、その中には定番の刑事ものと病院ものは含まれない。そして、もう一度繰り返して見たくなるドラマにはなかなか巡り会えない。一年に一本あればいい方だろう。

 最近のドラマは、受けをねらった演出が目立っているように思えてならない。

 

 今月スタートした金曜夜の新番組「最愛」を録画して見ている時だった。

 主演の吉高由里子が駅のホームから電車に乗り込んで出発するシーンで始まった。

 駅の看板が映(うつ)った時、

「あれっ?!」

と思った。

 一瞬、その看板の駅名に目が留(と)まった。縦書きで上から順に、

「じょ・う・は・」

まで読み取れた。

「じょ・う・は・」

とくるとその次に来るのは、南砺市の住民だったら10人いれば10人、

「な」

を連想するだろう。

 ところが、残念ながらその下の文字は画面には映らなかった。では、漢字はないのかなと、出発のシーンの録画を繰り返し再生して見たが、漢字の部分は見当たらなかった。

 城端駅前は車でしょっちゅう通るけれど、城端線に乗ったことは10年以上ないので、ホームや車内の様子を見ても本当に城端駅なのか確信が持てなかったのだ。

 続けて見ていると、

「この場所はあそこだと思うんだがなあ。」

というシーンが何度か出てきた。

 寿司(すし)恵(え)の前の坂道、城端別院の山門(さんもん)に似た建物、映画『NORINTEN稲塚権次郎物語』で葬列のロケに使われた細道…

 そして、見慣れた白塗り出窓の土蔵群(どぞうぐん)が映ったところで、これは間違いなく城端でロケしたものだと確信した。

 終盤に出て来た富山県警と、撮影協力となっている地元の『チューリップテレビ』のテロップがそれを裏付けていた。

 地元でドラマのロケがあったという情報は、僕の耳には全く入ってこなかった。

城端町が全国ネットのテレビドラマの舞台になるのは、僕の知る限り初めてで、久しぶりの興奮を抑えきれず、早速東京と埼玉の友人たちにメールした。

 

 

Miliyah(ミリヤ)の歌 2009夏

先日の夜11時過ぎ、北日本テレビのニュースゼロを何気なく見ていたら、妙に心に引っかかる映像がありました。

 それは、10代の若者に人気のある加藤ミリヤという21歳のシンガーソングライターの特集だったんですが。

 

 今風(いまふう)の若い女性が、今風の歌い方で自分の作った歌を歌っていました。

最初は、特に関心もなく聞き流していたのですが、なんとなく耳に入るに任せているうちに、歌詞の一言一言が、何か訴えかけるように心に響いてきました。

 ちょっと聞いてみてください。

              …曲…

 いかがでしたか?

何か気になった言葉はありますか?

             

 僕が心に留(と)まった言葉は、

  • どうして私はここにいるの?

  • どうして私は生きているの?

  • もうわからないよ。私が生まれたその意味を。

  • なぜ不安になるの?

の四つです。

 

このうちどれでもいいですから、答えられる方はいますか?

 

 どれ一つとっても、簡単に答えを出せる問題ではないようです。

自分自身に対する、深くて重い根本的な問いかけのような気がします。

 

 自分は、なぜここにいるのか。なんのために生きているのか。そして、『自分とは一体何なのか?』

 この根本的な疑問が、時々僕自身の心の中で姿を現わしたり隠れたりしています。そして、この問題に決着がつかないままでは、安心して死んでいけないような気がします。

 

 一般的に、「仏教は年取ってからやるもの」という風潮があり、南砺地方も例外ではないようです。

 でも、このミリヤという21才の女性歌手の歌を聞き、それに共鳴する多くの10代の若者がいるということを知って、仏教、さらには宗教を求める気持ちに年齢は関係ないんだなと、つくづく思いました。

 

深夜コンビニの前にうんこ座りしてカップヌードルを食べている子供達も、暴走族の若者達も、意識するしないに関わらず、心の中にこの問いを持っているのではないでしょうか?

彼等が自分でも気づかない、この問いに答えを求めようとしてあがいている姿が、ああいう形になって現われているんじゃないかと思います。

 

 最近感じたことを、話させていただきました。

                       浄円寺 「正信偈を読む会」にて

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

第二部 医療日誌 

リラグゼーション楽(らく) 1998

整形外科は二年半勤めて退職した。

 この仕事は基本的に最終目標が独立開業なので、職場を変えながらスキルアップしていくのが共通認識になっている。

 手に技能があるというのは職探しにはメリットがあり、こののち三回職場を変えることになるのだが、全て向こうから話が舞い込んできた。

 整形を辞める前から、

「重さん、うちに来ないか?」

と誘われていた先がある。リラグゼーション楽といって、新宿駅から京王線で三つ目の笹塚(ささづか)駅近くにある実費の治療院だ。

 副院長は整形時代の後輩で、僕より一足先に辞めたのだが、最後の日に川口の行きつけの中華料理店へ連れて行き、二人だけの送別会をしたのが縁でつながっていた。

 その頃、真宗の教師の資格取得を目指していた関係で、計二週間休みをとることを条件に勤めることにした。

 二十四時間営業で健康保険が効かない今度の職場は、整形の頃とは客層からして違っていた。

 お年寄りは皆無で、デスクワークによる肩凝(かたこ)りの二、三十代のOLが圧倒的に多かった。

 深夜には男女のカップルもよく現れた。

 

そして、接し方も整形外科とは百八十度違っていた。

患者さんが来院した際(さい)、整形時代に「こんにちは!」と言っていたのが、リラグゼーション楽では「いらっしゃいませ!」となり、「お大事に!」が、「ありがとうございました!」になった。

 つまり、患者さんはお客さんとなり、医療目的の治療は、慰安(いあん)のマッサージになるので、あくまでお客さんの要求が優先された。

 僕の資格、柔道整復師の業務範囲ではなかったが、こういう世界に身を置けたことは、接客の点でとても勉強になった。

 戦場だった整形と違い、「楽」はゆったりとした時間が流れていた。

若いマッサージ師達とも打ち解けて話せ、整形で疲弊(ひへい)した心を癒(いや)し、自分を取り戻すことが出来た。

そこは、結局十カ月で辞めることになった。

                                  (つづく)

                             [次号 11月13日]

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