真宗大谷派 浄円寺
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浄円寺コラム<38> 2021,9,18 重共聡
私の宗教遍歴
「天罰が下(くだ)るぞ!」2001頃
秋の夕刻だった。
川口駅に隣接する公園でいつものように太極拳の形をやっていたら、離れて見ていた二人の青年が近づいてきて、
「それは太極拳ですか?」
と声をかけてきた。
久しぶりに太極拳について聞かれたのと、中国武術に興味がありそうだったので嬉しくなり、近くのドトールコーヒーへ場所を移すことにした。
最初は太極拳の話で盛り上がっていたのだが、だんだん雲行きがあやしくなってきた。
話題が少しずつ仏教の方へ誘導されていることに気がついた。
二人の青年は、自分達が信仰しているN宗の素晴らしさを力説し始めた。
どうやら彼らはN宗系の団体に入っていて、駅や公園などで勧誘活動をしているようだ。
僕は、ただ頷(うなず)きながら耳を傾けていた。こういう時は、自分の宗派を言わないことにしている。
40~50分たった頃、
「じゃあ、今からうちの集会場へ行きましょう。」
と言って席を立とうとした。僕は即座に、
「行きません。」
と答えた。
「なぜ行かないんですか?」
と、聞かれたので、
「十分解(わか)ったので。」
と返した。
それでも執拗(しつよう)に誘ってきた。
僕は、
「行きません。」
の一点張りで通した。
「どうしてだよう?!」
と、青年の一人は僕がなぜ行かないのか、納得いかないようだった。
押し問答しているうちに、その青年が言った。
「ここまで聞いて行かないと、天罰が下るぞ!」
「どうしてですか?」
と聞くと、いいという事を知りながら、集会場へ行かないからということだった。
やや強引なこじつけに思えたが、それでも僕の気持ちは変わらなかった。
すると今度は、天罰の内容についてしゃべり始めた。
過去に誘いを断ったケースで、一カ月目でこんな災難に遭(あ)ったとか、三カ月目に事故に遭って亡くなったとか、とにかく不安をあおるようなことを言うだけ言うと席を立って出て行った。
僕はというと、目の前でいきなり宣告されたので、内心ギクッとしてしまった。これがもし仏教に対する免疫がない人だったら、怖くなってついて行くかもしれないなと思った。
そして、その日から三カ月間は行動半径を狭くして、いつもと変わった予定は極力(きょくりょく)控(ひか)えるようにし、外出時は周(まわ)りに神経を配(くば)るようになった。
後になって考えると、天罰が下るなどと言って相手を脅(おど)すのは、どう見ても仏教とは言えないんじゃないかと思った。
当時、自分は49才前後だったと思う。
親鸞の教えを聞き始めて3年経(た)っていた。
教えには共鳴するが、念仏を称えることに対してはまだ抵抗があった頃だ。
家が浄土真宗の寺だからすんなり真宗を受け入れたわけではなく、何でも納得しないとやらない自分が、親鸞の教えに目を向けるまでにはいろんな寄り道があった。
究極のプラス思考<2>
僕が三十代に護国寺の天風会館に通っていた頃、みんなで唱和(しょうわ)していた言葉にこういうのがありました。
「たとえ身に病(やまい)があっても、心まで病(や)ますまい。」
これは中村天風の師、ヨガの聖者カリアッパ師の教えでもあります。
この言葉を、若き日の天風とカリアッパ師の対話を通して、もう少し掘り下げてみたいと思います。
肺結核を患っていた若き日の天風は、ヨーロッパから日本へ帰る途中で偶然知り合ったヨガの聖者カリアッパ師に連れられて、ヒマラヤ山麓で修行に入った。
カリアッパ師 「病(や)むのは体の方だろう。心ではない。体が悪いからといって、心まで病ます必要がどこ
にあるのだ。」
天風青年 「しかし、こう体調が悪ければ憂鬱(ゆううつ)にもなります。」
カリアッパ師 「では、病(やまい)が治らなければ生涯憂鬱でいようというのか。
いいか、病は病。苦しみは苦しみだ。そういう時こそ、それをよりよい方へ引っ張ってくれる
のが心ではないか。
まったくお前という人間は、考えなければいけないことは考えないで、考えなくていいこと ばかり考えている。
早い話が、飛び込まなくてもいい濁(にご)り水の中に、自(みずか)ら勝手(かって)に飛び込んでいるのだ。言いかえれば、お前はいつも向いてはいけない方ばかり向いて生きている。こっちを見れば、きれいな花園(はなぞの)があるのに。」
おおいみつる著『ヨーガに生きる』より
「真宗にも共通の教えがあるじゃないか!」
友人で北米開教使の名倉幹さんが奔走(ほんそう)して復刻にこぎつけた彼の師の著書を読んでいた時に、その文が目に留まりました。
以下に、自分の受け取った範囲で紹介したいと思います。
病気にかかると病人は苦しいという。
けれども、苦しいというのは、病気そのものよりも、病気によって様々なことを心配したり、不安になったり、怖れたり、落胆したりする、そのことの方が余程苦しいのである。
多くの人は、病気の苦しみと心の悩みを、一所(いっしょ)にしたり取り違えたりしている。であるから、我々はまず心の健全(けんぜん)を図(はか)らねばならないのである。
古聖(こせい)が財産や権勢(けんせい)や名声に目もくれずにひたすら道を求めたのは、つまり心ひとつを尊重して心の病(や)まず悩まぬ道を求められたのである。
実は、それが本当に自分を可愛がり幸せにすることなのである。
今まで種々なものに悩まされ障礙(しょうがい)せられて、心が常に行き詰(づ)まったり倒れたりしていたのが、何事に遭(あ)っても悩まされず行き詰まらず、広い野原に出たような心の自由を、親鸞聖人は『念仏者は無碍(むげ)の一道なり』と喜び叫ばれたのである。
蜂屋賢喜代(はちやよしきよ)著『人間道』より
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
第二部 医療日誌
仕事の報酬(ほうしゅう)
その日は整形外科の午後出勤の日で、朝と昼をかねた食事をとってアパートを出、三時少し前に埼京線戸田公園駅に着いた。
プラットホームから下へ続く階段を下りていると、二~三メートル先に、以前患者で来ていた高校生の女の子の後ろ姿が目に入った。
外で患者さんに出会った時はすぐに声をかける方なのだが、その日はちょっとためらった。
夏目雅子似の瞳(ひとみ)をもった彼女が膝の痛みで来院した時、僕は診察室にいた。
「この水抜(みずぬ)かんと治らんよ。」
と院長が、不安そうに見守っている彼女におかまいなく膝関節に溜(た)まっていた水を注射器で抜くと、赤い血が混じっていた。とても痛がっていたが、抜き終わるとだいぶ楽になったようだ。
その日から毎日のように、左膝を引きずりながらリハビリに通う彼女の姿があった。
時々、
「どう?」
と具合を尋ねたりしていた。
ところが、一カ月余りしてパタッと姿が見えなくなってしまったのだ。
こんな時は、よくなったかあるいは治らなくて他の所へ移ったかが考えられるが、どうしたのか心の隅に引っかかっていた。
それで駅のホームで見かけた時は、
「声をかけて、もし膝がよくなっていなかったら、むこうはいい気がしないんじゃないか?」
という考慮(こうりょ)が働いた。
でも知っていて見ぬふりをするのは、もっと悔(く)いが残ると思い、歩調を速めて近づいていき、
「こんにちは!」
と声をかけた。
後ろを振り向いた彼女は、一瞬(いっしゅん)間(ま)をおいて僕だということに気がついた。その途端パーッと表情が明るくなった。
「膝は大丈夫?」
と聞くと、
「えぇ、思いっきり動かすのはちょっと怖(こわ)いけど、痛みはすっかりよくなりました。」
という返事が返ってきた。
「じゃ、頑張ってね。」
改札を出たところで別れた。
ふり返った時のニコッと微笑(ほほえ)んだあの表情が、その日一日をとても爽(さわ)やかな気分にさせてくれた。
この仕事の報酬というのは、こういう形で現れるのかと思った。
これは、今までの仕事では味わったことのない醍醐味(だいごみ)だ。
(つづく)
[次号 10月2日]