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             浄円寺コラム<31>      2021,6,12重共聡

 出てきた遺稿(いこう) 2021春

 今年の春、四十九日前のお参り先でのことだった。

「(故人の)書棚を整理していたらこんなものが出てきました。」

そう言って、書類のようなものを差し出された。

 それは直筆(じきひつ)の分厚い原稿の束(たば)だった。パラパラめくってみると仏教についての内容だったので、先々代の当主(とうしゅ)が書き残されたものだと思った。

 達筆(たっぴつ)な方(かた)で、書はうちの玄関を上がった部屋にも額装(がくそう)して掛けてあるが、やはり経典からとった言葉が墨痕(ぼっこん)あざやかに書き上げられている。旧城端町役場の用紙にペンで書かれた文章も美しく丁寧な筆跡(ひっせき)だった。

 じっくり目を通してみたいという思いに駆(か)られ、しばらく拝借(はいしゃく)することにした。

 

「これは…」

 ページをめくるごとに次第に襟(えり)を正していく自分がいた。

 平易(へいい)な言葉の奥にある心境の深さに圧倒されていた。

途中までは先々代の信仰告白だと思って読んでいたのだが、どうもそうではないようだ。おそらく誰かの講話録を書写(しょしゃ)したものだろう。

そうだとしても四十五枚の手書きの原稿は、先々代が熱心な念仏者だったことを証明するには十分だ。

著者名(ちょしゃめい)が入っていないので誰の著作(ちょさく)か知る由(よし)もないが、真宗の要(かなめ)をこれだけ分かりやすく表現できる人物はそうはいない。

 

原稿を返却(へんきゃく)した際にコラムに載(の)せたい旨(むね)お願いすると、快(こころよ)く承諾(しょうだく)してくださった。

 原稿の中から抜粋して、数回に分けて紹介させていただこうと思う。

 

 誰でも仏に遇(あ)いたいんだ 原稿①

 九州巡(じゅん)教(きょう)の折、あるスナックに立ち寄った時のことです。

 私の隣りの席に座っていた品のいい七十才位の紳士が、衣(ころも)を着ていた私に酒を勧(すす)めながら、私の顔をのぞき込む様にして聞くのです。

「お坊さん、お坊さん。私は前から一度お坊さんに聞いてみたいと思っていたのですが、仏さまって本当に居(お)られるのですか!」

 私は答えに困りました。

 聞けば医者だという。もし仏が居ると言えば、きっとその「実在(じつざい)を証明せよ」と問い

つめるに違いない。

 また極楽があると言えば「何処(どこ)にあるか!」と宇宙論までの話になるだろう。

 私は答えを避(さ)けて歌ったり飲んだりしていました。半時(はんとき)もした頃、またのぞき込むように、

「坊さん、さっきの話ですが、仏は居(い)ないんでしょう。極楽も無(な)いんでしょう。本当のことを言ってください。」

と、しつこく問い詰(つ)めるのです。

 私は思いました。

きっとこの医者はこんなことを言いながら、本当は仏に遇(あ)いたいのだ。

去年、奥様が亡くなられたとのこと、淋(さみ)しいに違いない。先立った奥さんのことも気になるのだろう。自分の行く先も気になっているに違いない。

 だから、子供が母の愛を求めて逆(さか)らうように、この医者もまた仏のお慈悲を求めて逆らっているんだ。

 

 この時、私は考えることがあって、

「それじゃ本当のことを申しましょう。

仏は居ません!また浄土もありません。この世界は虚無の暗黒です。

あなたの病院も、財産も、名誉も、地位も、愛する者もみんな虚(むな)しく消えて無になります。あなたの名前も、生きてきた証(あかし)もみな無になります。

 悲しいことですが、この世界は暗黒(あんこく)の地獄です。それが本当のことです。」

と、はっきり言いきりました。

 その時、一瞬場(ば)がしらけました。

 その途端、医者は首をうなだれ、うつむいたままになりました。

 

 私はしばらくして、

「御馳走(ごちそう)さまでした。」

と挨拶し、店を出てタクシーの来るのを待っていました。

 その時です。

 私の肩をポンポンと叩く人があるので振り返って見たら、先ほどの医者でした。また私をのぞき込むようにして、

「お坊さん、きっとさっきの話ですが、あれは本当ですか?」

と、今度はいかにも深刻そうに聞くのです。

 私はさらに考えるところがあって、

「しつこいです!無いと言ったらありません。この世界はみな虚無(きょむ)の地獄です。」

と言ってタクシーに乗り込みました。

 気になって振り返ってみると、雨の中を傘もささずに首(こうべ)を垂(た)れてしょんぼり立っているのです。

 なんと淋しく悲しい孤立の姿であろうか。これこそ人間の実相(すがた)であろう。

 誰もがこのような不幸を本来持っているのだ。この姿にこそ仏の大悲(だいひ)がかけられたに違いない。

 

 私は、

「このまま見捨てては行けない。」

と思わず車から飛び下りて、立ちすくんでいる医者の手を取って大きな声で、

「お医者さん、先ほどはごめんなさい。仏は居られます。」

と言ったのです。

「どこに居られますか?」

「ハイッ、私と一緒に念仏してください。」

と言ったら医者も一緒に念仏してくれました。二人は声を張り上げて念仏しました。

「お医者さん、あんたの念仏の声が聞こえますか?」

「ハイッ聞こえます。」

「その声があなたの仏の声です。あなたに来てくだされている仏さまの声です。あなたと仏さまとの親子の名のりの声です。あなたこそ、仏のおんいのちです。」

 そう申したら医者は泣き出されました。私も泣きました。

 不思議な感動でした。

 医者は何べんも、

「これが仏さまの声ですか。本当は私も仏に遇(あ)いたかったのです。有難う。ありがとう。」

と、泣いて喜ばれました。

 なんと不思議な出遇いであろうか。声も形も無いアミダさまと、いま念仏の中で、あつく、あつく、心が通(かよ)ったのです。

 

合掌して見送る医者を後に、私はタクシーに乗りました。深い感動でした。私は西に向かって合掌して云(い)いました。

「アミダさま、只今(ただいま)一人の衆生があなたと親子名のりの念仏をしてくれました。

 アミダさま、うれしゅうございましょう。私もうれしいです。」

 ナンマンダ仏と念仏高らかに帰りました。

                                  (つづく)

                              [次回 6月26日]

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