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            浄円寺コラム<21>      2021,1,23重共聡  2018冬

 母が亡くなって二週間ほどした頃、小学校教員をしていた母の同僚だった大場(おおば)先生の奥さんが仏前にお参りにみえた。

話の中でこう言われた。

「主人は、学校が焼けたことをずっと悔(く)いていました。」

 学校とは僕が通っていた地元の蓑谷(みのたに)小学校のことで、昭和三十八年の冬、火災が発生して全焼した。当時僕は小学四年で、大場先生と母もそこに教員として勤めていた。

 結局、原因は不明だったのだが、大場先生はずっと責任を感じていたことを知って驚いた。

「学校が焼けたのは残念だったけど、その後、城端町の小学校に併合(へいごう)され、いろんな経験ができてよかったと思っていますよ。」

そう言うと、

「入院中の主人に伝えます。そのことを知ったら主人も喜ぶと思います。」

と言って帰っていかれた。

 それからしばらくして、新聞で大場先生が亡くなったことを知った。

 

最後の校歌(前編) 1962冬

「これが最後の校歌になります。」

 約二百名の児童を前に校長が言った。

「♪赤(あか)祖父山(そぶやま)に生(お)ふる木の~ ♪木(こ)の葉も石になるという~」

 ピアノの前奏の後、全校児童、教職員、村長、組合長らによる合唱が始まった。

 

僕の通っていた小学校は、世界遺産の合掌集落で知られる五箇山のふもとの蓑谷という村にあった。

 東と南は飛騨山脈が壁のようにせまり、西は富山、石川両県にまたがる医(い)王山(おうぜん)がそびえている。三方が山に囲まれた中を、砺波平野が北へなだらかに広がっている。当時の家屋(かおく)は屋敷林に囲まれ、散居村特有の点在を見せていた。

 昭和三十八年の冬は記録的な豪雪になった。

 木造二階建て校舎の前を左右に走る県道は、雪のため人一人通れる道幅しか空(あ)いてなく、車は通行不能の状態だった。

 二月二日、その日小学四年の自分たちは、昼休みの後二階の教室でローマ字かるたの制作に励んでいた。

 石炭ストーブはガンガン鳴って必死に室内を温めている。クラス担任はスキーの授業で五・六年生を引率(いんそつ)して近くの山へ出かけて不在だった。

と、突然けたたましいベルの音が静寂をやぶった。

 非常ベルが間違って鳴ることはたまにあったので、この時も、

『またかな。』

くらいに思った。

 ところが、誰かが廊下に出て窓の下を見下ろして言った。

「煙出とるぞ!」

 その声につられるように廊下へ飛び出し、窓ガラスに顔を寄せると、中庭に突き出た宿直室と放送室の平屋(ひらや)の軒下(のきした)から、一斉にもくもくと白煙が噴(ふ)きあがっていた。

 

「火事や!」

 その時、誰が指示したわけでもないのに、とっさに取った行動は皆同じだった。

 木製の椅子をガタガタいわせて立ち上がると、左前腕(ぜんわん)を右手でつかみ足早に階段に向かった。黙々と階下へ歩(ほ)を進めて行くみんなの背中が、今でも記憶の底からよみがえってくる。

 火はまだ広がっていなかったため、皆わりと落ち着いていた。隣接する二年生の教室では、担任の先生が指示をして避難(ひなん)するところだった。

 そして、毎年行(おこな)っている訓練通り、グラウンドの向こうの県道まで走った。

 振り返ると、二階建て木造校舎の背後から曇り空めがけて、煙が狼煙(のろし)のように上がっていた。

 

 ただ茫然(ぼうぜん)と眺(なが)めていた。

 どれくらい時間が経っただろうか。多分、そんなにたっていなかったと思う。

 ハッと我に返った時、教室にそのままにしてきたランドセルやジャンパーが頭に浮かんだ。

 避難訓練では、何も持たず逃げるように教え込まれていたので、三十八人いる僕のクラスの殆んど全員が、自分の持ち物をそのまま教室に残してきたのだ。

『まだ、大丈夫や!』

 そう思った時は、もう友達二~三人と校舎に引き返していた。

                                  (つづく)

 

「鬼は外、福は内」

 もうじき節分を迎えますが、真宗の教えから見たこの伝統行事を、友人で北米開教使の名倉幹さんの文を通して考えてみたいと思います。

 

「鬼は外、福は内」節分から考える                   

 節分のこの豆まきの風習は、厄払(やくばら)いそのものを意味しておりますね。

「鬼」つまり自分にとって都合の悪い出来事、災い、厄難(やくなん)は出て行け。

 反対に「福」つまり自分にとって都合のいいこと、幸福よ来たれ、ということです。

 

 しかし「鬼は外、福は内」という厄払い思想だけでこの世を渡っていくことは、危険極(きわ)まりないと思います。

 子供が「鬼は外、福は内」と声を出して豆まきをしている姿は、無邪気で頼もしくさえ思えます。

ただ、注意しなければならないのは、大人になっても老年になっても、死ぬまでその厄払い思想を堅持(けんじ)して世を過ごしていくことです。

 自分の身に厄難が降(ふ)りかからないようにと、心の底で何かを畏(おそ)れながら、お祓(はら)いに行ったり、厄除(やくよ)けをしたり、占いに凝(こ)ったり、日時や、方角字画を気にしたりしてビクビク過ごしていくことです。

 また、霊魂(れいこん)の存在に縛(しば)られて、行動の自由まで奪われていくことです。

 悲しいかな、これは誰にでも起(おこ)りうる現実です。

 

ところで、お釈迦様の覚(さと)られた内容を一言(ひとこと)で申すならば、「縁起(えんぎ)の法」を発見されたということです。

これが仏教の基本です。

 どういうことかと言いますと、あらゆる全ての出来事、物事、現象は、ことごとく無数の因(原因)と縁(条件)が相(あい)寄って生じているということです。

 わかりやすく言えば、因と縁が熟(じゅく)すると、「鬼は外、福は内」という自分勝手な思いとは関係なく、都合の悪いことが自分の身に起っても、それは当たり前のことだということです。

これは、厳然(げんぜん)たる真理です。

 

このことが頷(うなず)けてまいりますと、この世の中を渡っていくに際し、都合の悪いこと、嫌なこと、まさかなことに遭遇(そうぐう)しても、それは因と縁が熟すれば当然そうなるのですから、その道理に従っていける、どんな結果であれこの身に引き受けていけるということではないでしょうか。

 

 歎異抄(たんにしょう)に「念仏者は無碍(むげ)の一道(いちどう)なり」という親鸞聖人の言葉があります。

 称名念仏は、人生行路(こうろ)においてどんなことに出くわそうとも、どんな境遇に陥(おちい)ろうとも、何ものにも妨げられない心の力を得て、力強く生き切ることが出来る道であるということです。

 ですから、どうかどうか、一人ひとり一回限りの人生ですから、現に生きている今、ここにおいて、自分の心ひとつが真に助かる道を求めて、共に歩んでいければなぁと、心底(しんそこ)思うものであります。

                        (名倉幹氏 発行『親蓮坊通信』より)

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

第一部 大東医専物語

 整形外科学担当で病院をやっておられる坂本先生は、九十分の授業中(じゅぎょうちゅう)一回はいたずらっぽい目付きで面白い話をしてくれた。

 それも実体験からきているので説得力(せっとくりょく)があり、みんな固唾(かたず)をのんで聞いていた。

 なかでも印象に残っているのは、とても美人なのだが生まれつき膣(ちつ)のない女性がいて、腸を取ってきてつけた話だ。これにはショックを受け、考えさせられた。

 

国家試験が間近(まぢか)にせまった最後の授業では、引(ひ)き締(し)まった表情で話をされた。

「みなさんが将来この仕事についた時、必ず失敗します。失敗しなけりゃうまくなりません。成功ばかりしている例からは、いい柔整師は育ちません。

 だから、なるべく勤めている間にいろいろ失敗を経験したほうがいいです。もちろん、開業しても失敗はします。

 そういった時、身近に相談できる仲間を必ず作っておくこと。そして常に情報交換してください。

『失敗したんだよ。』

『なんだ、俺もやったんだよ。バカだなあ。』

といった具合に。

 国家試験まで三週間しかありませんが、人間せっぱつまってくると、そのことだけじゃなく、関係のない本を読んだり、パチンコをしたりといった他のことも何かやってみたくなります。こういう時こそ大いに遊んで、勉強もやってみるといいですね。」

 

 退職

 仕事は二月いっぱいまでやった。

 最後の日(二月二十八日)は早めに切り上げた。三年間勤めた会社と別れるのは、やはり寂しいものがある。

「長い間お世話になりました。お陰様で学校を無事に終えることが出来ました。」

と言うと社長が、

「遅くまで無理言ってすみませんでしたね。」

と餞別(せんべつ)をくれた。

 いろいろ厳しく仕事を教えてくれた島田さんが、

「作業服洗って返さないと、また何か言われるよ。」

と忠告してくれたのは、いかにも彼らしいと思った。

 

 その日の帰りは、車は会社に返してしまってもうないので、十五分の道のりを都営(とえい)三田(みた)線高島(たかしま)平駅(だいらえき)まで歩くことにした。

 毎日、疲れた足取りの自分に、いろんな表情で語りかけてくれた新河岸(しんがし)川の川面(かわも)は、今日はゆらゆら穏(おだ)やかに揺れていた。

 

電車のドアの窓に顔を寄せて、暗がりを流れていく灯(あか)りを追(お)っていると、三年前不安でいっぱいになりながら会社の面接を受けに来たことや、入学試験前に一人で学校の下見(したみ)にきた日のことなどが懐(なつか)しく思い出された。

 浮かんでくるのは本当に心細い想い出ばかりだった。三年間の白紙は塗りつぶされた訳(わけ)だが、よくやれたなという充実感で満たされていた。

感慨(かんがい)にふけっているうちに、あっという間に川口に着いた。

 国家試験まであと五日、いつまでもおセンチになっている暇(ひま)はない。

                                  (つづく)

                               [次号 2月6日]

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