真宗大谷派 浄円寺
18
浄円寺コラム<18> 2020,12,12 重共聡
アリとキリギリス 1962秋
将来なりたい職業。
「天皇陛下。」
小学校低学年の頃、将来何になりたいか、配られた用紙に各自で記入したことがある。
担任が読み上げたのか、一人一人順番に発表したのかは忘れたが、天皇陛下の四文字だけははっきりと耳に残っている。『えっ!』と思ったが、そのことをひやかす者は誰もいなかったと思う。そして、それが誰の意見だったかは記憶をたぐっても全く思い出せない。
小学校時代は一学年一クラスで、僕のクラスは男子二十二名、女子十六名の三十八名だった。
全員が幼稚園から一緒で、お互いファーストネームで呼び捨てあう兄弟のような関係で、女子に対しても異性という意識があまりなかった。
頃は昭和三十年代、PTAが権力を振(ふ)るう現代と違い、学校の先生が理屈抜きに尊敬されるのどかな時代だった。
三~四年生のころだったと思う。
秋の文化祭だったか春の予餞会(よせんかい)(卒業生を送る会)だったかはっきりしないが、僕のクラスは合奏(がっそう)をやることになり、各自が楽器を割り当てられた。僕とミキオはアコーディオンをやれと先生から言われた。
未経験のうえ指先が不器用な自分に務(つと)まるかなと思ったが、カッコよさそうなので引き受けた。
翌日からミキオは時間を見つけては音楽室にこもり、アコーディオンの練習に励んでいた。
僕は、みんなと遊ぶのに忙しかった。
発表の日が近づき、みるみる上達していったミキオに対し、僕が全くアコーディオンを弾(ひ)ける状態じゃないのを知った先生が、
「指揮でもやるか?」
と言った。
今から他の楽器に転向しても間に合わないと思った先生の、窮余(きゅうよ)の策(さく)だったのだろう。これなら楽器みたいに練習しなくても、自分にもできそうだと思った。
「一、二、三、四。一、二、三、四…」
その日から、両手人差指(ひとさしゆび)をタクトに名指揮者になりきった僕は稽古に余念(よねん)がなかった。
そして、本番当日。
講堂のステージで、全校児童、教職員を前に演奏が開始された。どんな曲だったかは忘れたが、無難(ぶなん)に指揮をこなしていた。そして、
「ジャーン!」
演奏が終わった。僕は振っていた手を下ろして号令をかけた。
「気をつけ!」
続いて『礼!』と言おうと息を吸い込んだその時、
「♪~♪~」
一瞬の静寂(せいじゃく)の後、自分だけを置き去りにして再び演奏が始まった。
僕は立ちつくしたまま、それまでの人生で初めて顔から火の出る思いを味わっていた。
実は、タクトに見立てた手を振る稽古はしていたが、曲のことはよく知らなかったのだ。
演奏終了後、担任の先生から叱られたとか、同級生から非難されたといったようなことは覚えていないので、多分なかったのだろう。
『気をつけ!』と大声で言った後、再び演奏が始まった時のバツの悪さだけが、はっきりと記憶のかなたに残っている。
ただ、あの時の反復練習は半世紀たった今でも手に残っていて、
「一、二、三、四…」
とつぶやくと、それに合わせるように、人差指が勝手に空間に四拍子の孤を描き始める。
信に死し願に生きよ 2019秋
皆さん、死んだらお浄土へ行くと思とるが?
何もせんとって(しないで)、死んだら極楽へいく思とるが?
甘いわ!それ。
ほんなら、信じられるが?それ。
「あんた日頃の行ないいいし、お参りしとるさかいに、死んだら極楽へいくぞ。」
ちゅうたら(と言われたら)、
「わかった。」
って素直に信じられる?
ややこし(く)ないか?
この間、お寺でお葬式がありましてね。
「喪主(もしゅ)に相(あい)なり代わりまして。」
と葬儀屋の大将が挨拶するわけです。これも喪主がやりゃあいいのにね、下手でも誠意を込めて話すなら響くものです。
黙って聞いていたら、
「本日はご導師はじめご法中(ほっちゅう)の有難いお読経と皆さんのお念仏の功徳によって故人は只今から阿弥陀さまの懐に抱(いだ)かれて極楽浄土へ旅立ったことでございましょう。」
なんて声を震わして言うんですよ。
私は思わず、
「何やと、いま何と言うたのや。『阿弥陀さまの懐に抱かれて極楽浄土へ旅立った』って。見て来たようなウソをつくな。
ここをどこと心得ておるか。この寺は、親鸞聖人の現生不退(げんしょうふたい)の教えを説くところやないか。
それに何だ、『死んだ人がお念仏の功徳で極楽浄土へ旅立った』だと。亡くなった人を侮辱(ぶじょく)するのは止めてください。」
と言って、満堂の皆さんに少々お話をしました。
よいご縁でありました。
「今後、うちの寺で絶対にそういう挨拶することならん。
今日死んだ方はなあ、悲しみやら苦しみで目がただれるほど涙を流したかもしれんけど、その一つ一つの出来事を通してお念仏に出遇い、そこから大きな広い、深い世界を開いていった人なのです。つまり、苦しみで手も足も出ん。そういうところ、苦しみ抜いたところに、初めて見えて来た世界があるんです。
あのね、自分の力で生きとるんじゃないんです。他力に目覚めるってこういうことなんです。
自分で自分の力をあてにして自力が破れん限りはね、どこまで行っても娑婆(しゃば)なんです。
今ごろ念仏して阿弥陀さまに抱かれていくような、そんな手遅れなことじゃないんだ。」
と言うたんでございます。これは思わず言えたのです。
皆さん、浄土を死んだら行くところと思うておられるかも知れませんが、死んだって行けません。
生きとるうちに往生しておかねば、死んだって行けません。
生きとるうちに一度死なねばなりません。
死ぬちゅうことは、身が死ぬちゅう意味じゃないんです。自力が破れるちゅうことです。
自分をあてにしとることで生きとるんです。あてにしとることで苦しんどるんです。
そうじゃないんです。ただ与えられたことの中で、出来ることをさせてもらうんだけど、自分の思い通りにならんのが、本来の姿なんです。
だから、自分の思いというものが破れた瞬間に、生かしめとるかけがえのないものの中に…。
ホントは主人は仏様なんです。私が本当はその中に出来ることをさせてもろとるんです。
それが解らんがです(解らないのです)。
あんたら、生きとるうちに死んでおかんから死ぬときに死ねないのよ。
私は、今日集まってくださった皆さんに、いっぺん死んでもらおうと思っているんです。生きとる時に、いっぺん死んでおくということが、これが浄土に生まれることの出来るただ一つの道なのです。因なのです。それを信心というのです。人間からは断絶であるとの自覚です。
浄土は、お念仏をいただくことによってのみ開ける世界なんです。
自力でない、賜ったものの中に生かされとることが大事なんです。それが報土(ほうど)というのです。
あるとかないとかの話ではありません。見つかるか、見つからんかの話でしょう。
(荒木範夫師 2019,10,26浄円寺報恩講にて)
<連載企画>
医療・介護の世界に足を踏み入れて
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大東医専物語
魔法の手
渡辺先生の授業は何といっても後半の実技だろう。
前半の柔整の講義が夜七時頃終り、教科書を閉じて、
「では。」
と言って手のひらをこすり合わされた瞬間、眠狂四郎のようだった目がキラリと光る。
カイロ(プラクティック)とも違うようなんだが、張っている所を。
「強く押すんじゃなくて、そっと指先を当てるだけでいい。」
と言われ、
「気を送るんですか?」
と質問しても、違うという。でもその通りにやると、前と後では体の状態が変わってくるのだから不思議だ。
芦田(あしだ)君などは、
「センセ、腰が悪いんですけど。」
と言ってしょっちゅう実験台になっていた。
学校きっての秀才
担任の藤平(ふじひら)先生に、
「いまだに彼よりもいい成績をとった生徒は出ていない。」
と言われているのが、三年次に運動学を担当された筑波大の白木(しらき)先生だ。
三十代半ばのバリバリのやり手で、しかも講義は面白く、
「車のスピードを上げ過ぎると自然と肩に力が入るのは、ハンドルを急に切らないように肩の筋が固定力を増すからですよ。」
といった、日常無意識にやっていることに対する運動学的な解釈には、
「あーっ、そうか!」
と思わず感嘆(かんたん)の声が出てしまうことが、しばしばだった。
膝の運動のところは、自分のやっている太極拳にもプラスになり、そのまま金沢の講習会で使わせてもらった。
でもやはり、白木先生の説明のようにはいかず、みんなうつろな目をして聞いていた。
(つづく)
[次号 12月26日]