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            浄円寺コラム<13>      2020,10,3重共聡

お天気おねえさん 1979秋

「驚いた。今どき、あんな娘(こ)はいない。」

 母が驚いていた。

 

 話は、その八年前にさかのぼる。

 当時十九才の自分は、上京して半年間、新宿区東大久保に下宿していた。月二万円の賄(まかな)い付きで、埼玉、長野、新潟、静岡、山形、富山などから来た同年齢の七~八名が入っていた。

二階の四畳半を寝座(ねぐら)にして二、三週間過ぎた頃だった。

「コンコン。」

机に向かっていると、目の前の窓を棒のようなもので叩く音がする。

 開けてみると、両方から手を伸ばせば届く距離にある隣家(りんか)の窓際(まどぎわ)に、七十代後半と思われる女性の姿があった。

「となりのイフクです。お萩(はぎ)を作ったのですが、食べませんか?」

 それが、家族ぐるみの付き合いをすることになるイフクさんとの出遇いだった。

 その日以来、いろんなおやつを窓越しに頂戴(ちょうだい)した。

 

次に現れたのは、女性の長女で当時四十代の僕の母と同年代の女性だった。

 彼女は西川産業のベビー布団の縫製(ほうせい)の下請(したう)け会社を経営していた。隣りの建物は、会社兼住まいになっていた。

 それが縁で、夏休みになると呼ばれて、ベビー布団を運ぶトラックの運転助手のアルバイトをやった。運転手も学生(中央大)だった。バイトのおかげで車を誘導する時の、

「オーライ、オーライ!」

の掛(か)け声が躊躇(ちゅうちょ)なく出(だ)せるようになった。

 そのイフク社長はシングルマザーの走(はし)りで、僕より一才下の一人娘がいた。

 ヤスコさんと言って、都立の進学校から上智大の独文に推薦で入学したばかりだった。

 次の下宿先が杉並区下井草に決まり、半年間住んだ下宿を引き払う日が近づいた頃、社長から窓越しに、

「重共君、おヤスが家庭教師をしている高校生の持ってきた数学の問題、みてやってくれない?」

と頼まれた。

「いいですよ。」

と言って、隣りのイフク家を訪れた。

そこで、ヤスコさんと初めて顔を合わせた。

 結局、渡された問題が解けず、いいところを見せられなかったのも手伝って、その日は悔(くや)しい思いをした。

 夏休みにバイトに行った際、彼女が顔を見せるたび親しく口を利(き)くようになっていた。

 

 その後大学を卒業した僕は、父の紹介で富山の実家近くのアルミ工場に入社した。富山へ戻っても、年一、二回は上京してイフクさん宅に顔を出していた。

 ヤスコさんは上智を出て女子アナとしてテレビ朝日に入社し、しばらくお天気おねえさんをやった後、全国各地の秘境を巡る番組のリポーターになっていた。

秋の紅葉シーズンだったと思う。

「今度、五箇山へ取材に行くので会いたい。」

との電話連絡が入った。

 

そして当日。

夜七時頃、彼女がスタッフと滞在している平村(たいらむら)の民宿へ車で迎えに行くことにした。

 すると母が、

「私もついて行く。」

と言い出した。一人で大丈夫だと何度言ってもきかないので、結局自分が折れる形になった。

 母としては、暗くなって若い男と女が二人で山中をドライブするのが心配になったのだろう。

 

自宅へ着いて客間で二時間ほど過ごした後、夜十時過ぎ、再び五箇山の宿泊先まで送っていった。この時も母がついてきた。よっぽど僕が信用ないのかなとも思った。

家に戻って来るなり、茶道教授の資格を持つ母が言った。

「驚いた。今どき、あんな娘(こ)はいない。」

 どこが驚いたのか聞いてみると、こういうことだった。

 

離れの和室で、ヤスコさんと母、僕の三人が話しているところへ、父が挨拶(あいさつ)にきた。

 すると彼女は、座布団から一旦(いったん)畳へ移り、

「おじゃましています。」

と、会釈(えしゃく)したというのだ。

「ちょっとしたことだが、わざわざ座布団から下(お)りるところまで、最近の女の子はまず気がつかない。」

おまけに、

「頭のいいのを表に出さず、一歩退(ひ)いて相手の話を引き出すのがとてもうまい。

完璧すぎて、お前の嫁には無理やね。」

とまで言われてしまった。

 

 

よみがえった声 1992 ④

Q「人間は、浄土へ、あるいは極楽への道を歩いているというようなことを耳にするのですが、私自身その意味がどういうことか解らないんですよ。」

 

A「こりゃ、なかなか…話し出したら約一時間ほど話(はなし)しないと納得のいく話になるまい。(笑)

  けれども、今日(こんにち)のワシどもの生活は地獄行きの生活です。

  これは。仏様の教えに照らして分かるがい(分かるのです)。暗がりにゃ汚(きたな)いもんな知れん。汚いもの知るときにゃ、明かりに照らされんなん(照らされなければならない)。

  今日(こんにち)、ワシどもの生活は、まことに浅ましい、汚(きたな)い生活をしております。それを仏様の教えに照らしていうと、こんだ(今度)私(わたくし)は地獄行きの道を歩いておるいうことが知れるがや。

その意味において、御文様(おふみさま)でも何でも真宗の教えを伝えて下さった本をひもといてみれば、たいがい見当(けんとう)がつきます。

  

それで結論からいいますと、火を火と知らぬが、火に焼(や)かれる虫です。

  虫がパーッとたってきて(飛んできて)火に焼かれる。ありゃ(あれは)火を火と知らんから火の中へ飛び込んで火に焼かれる。

  今も、地獄へ落ちる私(わたくし)ということも知れんもんが(分からないものが)地獄へ落ちて苦しむ。地獄行きの道を歩いておるということが知れたら、よもや地獄にゃ落ちらりょまい(落ちることはあるまい)。(笑)

  

火を火ということが知れたら、火の中へむしゃ(虫は)飛び込まん。

今の地獄行きの道を歩いておる私ということが知れたら、ぼんやりと地獄へ落ちて苦しむということができん、じゃさからいで、火を火と知らぬ虫は、火の中へ飛び込む。火を火と知れた虫は、火の中へ飛び込まん。

  地獄行きの私ということを知れたもんが地獄へは落ちられん。仏(ほとけ)のお救いによって極楽へ行く。

 

  地獄どんなとこじゃとか、極楽はどんなとこか、これ話したさいな相当かかります。

  この程度でどうか、納得(なっとく)しといてくだはれ。」            (つづく)

 

 

<連載企画>

医療・介護の世界に足を踏み入れて

  • 大東医専物語

「なぁんだ、そのままでいいんだ」

 三年も十二月に入った金曜日、解剖学の竹本先生の授業の時だった。

 女の先生だがきびきびとした授業態度で、マイクを使わないのに声は階段教室の隅々

にまで響き渡る。

 解剖実習では、オペ用の手袋をはめないで素手(すで)で人体をさばいていくのには驚いてし

まう。

 そして試験問題がまた、医学部なみに難しく、われわれ生徒の頭痛の種なのだ。

 その日は授業開始時に、目前にせまった後期試験の範囲を発表した後、例によってニ

ッと白い歯を見せられた。

 こういう時は平均点がグッと下がるとみて間違(まちが)いはない。

『ああ、またしんどいなー。』

とため息が出そうになった。

 そして、その気持ちを引きずりながら講義を聴(き)いているうち、突然、

「あぁっ」

と思った。

「自分は、もうすべて知っているんだ。」

 頭に詰(つ)め込まなくても、この一瞬一瞬、心臓は洞房(どうぼう)結節(けっせつ)により規則的に鼓動(こどう)を打って

いるし、細胞と血液の間では内呼吸(ないこきゅう)がおこなわれ、神経細胞には活動(かつどう)電位(でんい)が発生してい

る。

 そして、学んだことよりもはるかに複雑で神秘的な活動が、体内で何の作為(さくい)もなく進

行しているんだ。

 知識がなくても、体が全部知っていて、実際、たった今そのように動いているんだ。

 そう気がついた時、両肩に乗っかっていた重(おも)しがとれ、身も心もスーッと軽くなった。

                                  (つづく)      

                             [次号 10月17日]

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